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トルストイ『人はなんで生きるか』

Sorry, this article is now avairable in Japanese text only.

 久しぶりにトルストイの『人はなんで生きるか』を読んだ。
二十歳代に初めて読んでからもう何回目になるのか、
心が弱ってくると妙にこの作品を読んでみたくなる。

トルストイは四十年ほど前までは大いに読まれていて、
文学青年ならずとも『戦争と平和』や『イワン・イリッチの死』などの作品に
夢中になっていたものだが、
昨今ではもうその名前さえ忘れられてしまったような感がある。

宗教と道徳という基礎の上に建てられた小説は古くて説教臭く、
阿呆らしいとさえ感じられるのだろう。
僕も現代作家の小説を読まなくなって久しいものだから偉そうに言うことはできないが、
現代の主人公は何より「ニヒル」で、
自分自身以外の何ものをも信じない人間でなければならないようだ。

高潔な魂や善良な心や志も必要でないと言うより、
それらはむしろ唾棄すべきもののようだ。

トルストイやドストエフスキーが好んで用いた

「美しく永遠なるもの」

はすっかり消え去って、
そこに描かれているのは殺人と性と暴力と、
つまり世の相対的欲望を巡る物語だけのように思われる。

確かにストーリーの進行に伴って登場人物の心理は描かれるが、
「人格」や「人生」とも言うべきものにまで
筆が及ぶ作品は極めて少ないように見える。

求められているのは、低められ矮小化された人間の現実であるようだ。
人は何によって生きるのか、
人は如何に生きるべきかという
人間を超えた次元からの視点はどこにも見出せない。

自己を実現することを巡ってしか
ものを考えることのできなくなってしまった僕たちの現代は
最早そういう問いを必要としていないのかも知れない。


 しかしこれは近年になってから始まった傾向ではないという気もする。
思い起こしてみれば、僕は若い頃から今に至るまでずっと、

 「甘ちゃんだ」
 「現実を知らないお目出度い奴だ」

などと言われて来た。

 「きれいごとを言ったって、人間は所詮自分だけが大切なんだ」
とか
 「愛なんて、フン!」
と鼻で笑われ続けてきた。

年長者からだけではない。
同輩からも十歳も年下の女性からも、嘲笑されてきた。

それは彼らの目に映る僕が
まったく理想的でも立派でもない故なのかも知れないが、
兎に角彼らは僕の話す理想を笑うのである。
「美しく永遠なるもの」を忌み嫌うのである。

 「お前をはじめとして人間はそんなに立派ではない」と。


 先日も近しい人たちの集まる会で現代の社会的性格について話をして、
「人はパンのみによって生きるに非ず」というところに結論を持って行ったのだが、
参会の老若男女は殆ど理解を示してはくれなかった。

彼らは笑って言う。

「なるほど愛は素晴らしいのだろうが、若者も老人も男も女も、
 誰もそれがないことで苦しんではいないし、
 第一そんなものは現実には存在しない幻想だ」と。

誰も僕に面と向かって言いはしなかったが、
彼らが「人は何によって生きるのか」という問いそのものを
馬鹿馬鹿しいと思っているか、
少なくともそう自らに問う必要性を感じていないことは間違いないだろう。


 しかし僕は思うのだ。
一体彼らはそんなにも人間の存在を低め矮小化して、何が嬉しいのだろうと。

彼らは日々本当に、自分の存在の無意味感に襲われて苦しんだり
高潔でない自分の魂を嘆いたり疑ったりすることはないのだろうかと、
僕にはまったく理解することができないのだが、
しかしどうやら現実はそのようであるらしい。

何の問題もないらしい。


 しかし僕にはトルストイの著作が必要だ。
他の人々にとって確かにそれは古くて説教臭く、阿呆らしいのだろうが、
僕には必要だ。

トルストイの人間の本質に対する深い理解と確信を持った作品は
真っ暗な夜の湖で溺れそうになっている僕に捕まるべき木片を与えてくれる。

どのように悲しく苦しい現実に向き合わされようとも、
絶望すべき理由はどこにもないと、静かに語りかけてくれる。

二十歳の頃も今も変わることなく、
それは萎えそうな僕の心に進むべき道を、或いは立ち返るべき場所を教えてくれる。

  (2012.7.22)

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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