トップページ > エッセイ > 「お前には、分からん」

「お前には、分からん」

  人生とは何かというようなことを二十歳の頃からずっと考えてきた。
それから四十年。知らぬうちに六十歳にもなってしまったが、
この歳になっても未だ変わらず人生とは何なのかと頭を悩まし続けて、
「人生は重く苦しく悲しいものだ」というような思いをもって日々を暮らしている。


  そんな考えは余りに悲観的で淋し過ぎると自分でも思うのだが、
性格と言うか人格と言うべきか、
僕の精神の基調は「悲観」に染められているようで、如何とも為し難い。

だから僕はもうそろそろ足掻いたりすることはやめて、
この自分の情けなく侘しい現実をそのまま受け容れようと考えている。

別に人生が明るく楽しくなくても好いではないかというところだ。


  とは言え、僕はまだ九六歳でもなく、
大きな病気に苦しめられてもいないし、仕事にも就き、絵も描いて、
家族からも見放されずに暮らしている。

人生の受容などと格好の好いことを言っていられるのも、
そんな恵まれた状況にあることを許されているからなのだとも言えるだろう。
職業からも家族からも切り離され、
その上病気に冒されて死に瀕したとしたならどうなのだろう。
そうなってもまだ僕は今と同じように言うことができるだろうか。


  二十年程も前のことだが、何とも悲しく辛い思いをしたことがある。


  僕の名の呼び方が「君」であったか「お前」であったか、
それとも「前君」であったかの違いはあるが、
年長の人から「お前には、分からん」と頭ごなしに言われて、
胸をひどく痛めたことが三度ほどある。

 最初は病気を理由に退職した職場の上司を見舞った時、
あとの二度は定年退職した高校時代の恩師に「たまには顔を見せろ」と言われて、
無聊を慰めに行った時のことである。

 それらの人に対して僕が何か悪いことをしたり言ったりしたというのでは決してない。
僕はただ玄関戸を開け、無沙汰を詫びる挨拶をしてから、
「如何ですか」と、近況を尋ねただけだった。

ところが三人とも一様に、堪えに堪えてきた怒りを爆発させるかのように、

「俺の苦しみはお前なんかには分からんのだ」

と言うのだった。
人を見舞って何故怒鳴られねばならないのか、
僕はあまりの惨めさに涙がこぼれそうになったほどだった。
僕だって結婚式を間近に控えた
婚約者に会うような思いで出かけたのではないのだ。

可哀想と言うと語弊があるが、
少しでも慰めになったならと思って出向いたのである。
笑ったり、からかうために出向いたのではない。

僕は、訪ねて行ったことを後悔した。

「単に歳を重ねるばかりで、人間如何に生きるべきかと考えたこともないのか」と、

僕は家に帰ってからも彼らの怒りに
引きつった顔を思い出しながら一人罵ったりした。

夜、床に身体を横たえても、眠りはやって来なかった。
北陸の冬空のような淋しさと悲しみが胸を圧してきた。遣り切れなかった。


  若い僕はそれら二十歳以上も年長の上司や
恩師から実に多くのことを教えられて、謂わば彼らを鑑として生きて来た。

立派な人だと尊敬の念をもってその言葉を素直に辿ってきたのだった。
だから、「お前なんかには分からん」と頭ごなしに言われたことは、
本当に、堪えた。尊敬と感謝を捧げる人ゆえにこそ、僕の失望は深かった。


  後になって人伝えに聞いたことだが、
上司は癌で余命一年と宣告されていたらしく、
二人の恩師もまた癌ではないものの
外を自由に歩き回ることができないほどに身体が弱っていたとのことだった。

三人が共通して向き合わされていたのは、
高齢と病気と孤独、即ち切迫した「死」である。

職業からも家族からも切り離され、
果たすべき仕事も必要としてくれる者もなくしてしまった彼らは
たった一人で死の淵に立つことを強いられていたのだろう。

何も見えぬ何ものもない死の淵。
その孤独の前には過去の栄光の輝きも、
未来への希望もその効力を失わざるを得ないのは当然のことだ。

昨日も明日もないことが齎す存在の無意味感が
彼らの心に大きな穴を空けてしまったのだろう。

社会の荒波の中を自信たっぷりに生き抜いてきた彼らにとって、
その孤独はかつて経験したことのない窮状と言うか、
堪え難い苦しみであることは容易に推測できる。

望みを持つ人は決して、「お前には分からん」などと言わないものだ。
その言葉は拗ねて僻んだ被害者意識が生み出すものだ。

 「のほほんと暮らしているお前なんかには
  人生の不条理に翻弄される俺の苦しみが分からない」。

彼らは自分の存在の無意味感に因を発する憎しみを
僕にぶつけざるを得なかったのだろう。

二十歳以上も年下で、
何の病気も患わず安穏に生きている僕に
腹が立ってかなわなかったのだろう。

 「これ以外では決してあり得なかった現実をそのまま受容すること」。

そう口で言うことは容易いが、
しかしそれは知性と教養を身に付けた人にとってもなお難しいことのようである。
 

  そして、僕もまたそう遠くはない将来に
必ず高齢と病気と孤独に向き合わされて、
彼らと同じ死の淵に立つことを強いられる。

その時僕は、「お前には分からない」、そう叫ばずにいられるのだろうか。


  もう二十年も前に言われた言葉が今でも時折思い出されて、胸を痛くする。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

Mae Hisanori ALLRIGHTS RESERVED.
Powered by eND(LLC)