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言ってはならない

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 若い頃に上司から

「決して馬鹿に馬鹿と言ってはならない」

と言われたことがある。

「賢い者は、馬鹿だと言われると
 自分をきちんと見つめて姿勢を改めるものだが、
 馬鹿は馬鹿と言われたことに腹を立ててこちらを憎むだけで、
 決して自分を変えようとはしないから、事態を悪くするだけなのだ」

と、博識の上司は言うのである。


 若い僕は、流石に教養を積んだ人はうまいことを言うなと感心して、
今でもその言い回しを憶えているのだが、
しかしこの戒めを実際に行うことは中々難しい。

如何な僕も「お前は馬鹿だ」と露骨に言うことは控えているし、
明らかに僕を尊重していないと思われる人や
こちらの話を理解しようとしない人には
できる限りの距離を保つように心がけて、
相手の性格や考えに話題が及ばないようにしているのだが、
ここに横たわる困難さは
目の前の相手の賢さがどの程度であるかを判断することである。


 僕としては相手がかなり賢い人で、
信頼関係も成り立っていると判断した人にだけ、
相手に対する評や思いを話すことにしているのだが、
そう、事はうまく運ばない。

日頃から賢く謙虚で感受性豊かであるばかりでなく、
こちらに対しても敬意と信頼を寄せてくれていると確信している人物であっても、
事が「自分の否定」ということになると、
豹変と言うか、こちらが想像もしなかった姿を見せるのである。

「お前は馬鹿だ」

とまでは言わなくても、
それがたとえば相手を心配する故の忠告であったり、
励ましや期待を込めた言葉であったとしても、
否定を匂わす言葉を僕が口にすると、
相手は即座に頬を緊張させ、歪めるのである。

人は誰も自分を否定される言葉を喜びはしない。

こちらの言ったことが正しいかどうか、
当たっているかどうかなどということは問題にならない。

人が何より敏感に反応するのは、
自分を否定する言葉であり態度なのだ。

「どんなことでも言って下さい。私はまだまだ駄目なんですから」

などという訴えに気を許して、
思っていることを正直に言ったりしてはいけない。

「もっと成長したい、本当の自分を知りたい」

そのような言葉は当人にとって嘘ではなく、
本当にそう求めてもいるのだろうが、
しかし、それはいつも一番ではなく、二番目の問題なのである。


 当人がどんなに真剣に誠実に
本当の自分はどんなものかを知りたいと謙虚に願っているとしても、
否定の言葉は必ず屈辱と被害感を生じさせ、
そしてその痛みや苦しみが憎しみを生み出すのである。

それはある刺激に対する反応が
脳を介することなく脊髄から直接引き起こされるのに似ている。

自分に向けられた否定の言葉は
内省を介さないで屈辱と被害感と憎しみを即座に生み出すようなのである。

尊敬や謙虚や信頼は確かに人の心を捕えて制御するが、
しかし自分自身を低くするそれらの感情も、自らの屈辱を超えることは難しい。

信頼の糸を屈辱の前に晒してみれば、
それが如何にか細く、頼りないものでしかないことに気づくだろう。  


 だから、決して、馬鹿と言ってはならない。
何故なら、極めて残念で悲しいことに、
人は自分を否定したり侮辱したり無視する者を
愛することができないからだ。

自分に浴びせられた屈辱と憎しみを忍んで、
それでも更に高き愛に至らねばならぬと自分を制することができる者は、
無きに等しいほどに稀だからだ。

僕たちが普段の生活でそんな憎しみを露わにしないのは、
ただ互いの関係の安全を保つために過ぎない。

 僕たちは全人類を心から愛することはできるが、
自分を認めず、否定する者を愛することができない。


 自尊心を巡る問題に僕は若い頃から悩まされ続けて来たが、
解決や解消と言うべき道は未だ見出すことができないでいる。

先週、『カラマーゾフの兄弟』と『地下生活者の手記』を
久方ぶりに読み返してみて、
僕たちにとっての最大の問題は、この「自尊心」なのではないかと、
改めてまた考えるようになった。


超人であることを求めるほどに肥大化していないとしても、
凡庸な僕たちの心の奥底に潜んでいる自尊心は怖ろしいものだと。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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