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地域や家を離れた生活

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 四年ほど前のことになるが、息子の結婚式のために東京まで出かけた。
一昔前なら長男の結婚式は地元で挙げることに決まっていたものだが、
息子から「式は東京で」と言われた時に僕はそんな習わしを思い出すこともなかった。
何処でどんな結婚式を挙げるのか、それは結婚する息子たち当事者が決めれば好い。
息子も妻となるお嬢さんも東京で仕事を持っているのだから、
東京で式を挙げるのが最も良いだろうという思いがあるばかりだった。
僕に、我が「家」に嫁を貰うというような考えは既になく、向こうのご両親にしても、
「他家」に嫁に出すなどというような思いをお持ちではないだろう。


 息子から結婚するという意志を聞かされたとき僕はそのような明快さを持って考えた訳
ではないが、しかし、古くから自分の親の世代にまで受け継がれて来た結婚の習わしに
思いが至らなかった事は確かである。


 結婚式の会場やその形式をどうするのか、披露宴に誰を招待するのかというようなこと
についても同様だ。
息子から何回かそのようなことについての相談の電話は受けたが、
口を挟まねばならないようなことは何もなかった。全てのことは息子たちが決めた。
親たる僕の役割は、ただ幾らかの資金を援助をするだけである。


 もちろん、結婚が決まったと兄や義妹夫婦に伝えたときに、式や披露宴について色々と
尋ねられはしたが、僕が答え得たのは、「兎に角、当日時間までに行ってくれれば好い」
という誠にいい加減なことだけだった。


 式は実際には人前結婚式という近頃流行らしい形式で為され、誰を招待したのかも、
僕たちは当日の会場で知らされたのだった。


 結婚式である以上当然のことながら、両家の親族は新幹線で出かけて行くが、
「家」の関係者までもが参列することは、考えられない。
向こう三軒両隣の方々も町内会長も市会議員も町の有力者も恩師も親の友人も、
一昔前には最も重要とされてきた人たちがそこに招かれることはないし、
たとえ招かれたとしても、彼らが東京での結婚式に出席するとはとても考えられない。


 息子たちは共に地元の高校を卒業するのと同時に東京の大学に進学して、
その後職に就いている。彼らにとって、生まれ育った地との関係は極めて薄く、
それは明日からの生活についても同様である。
息子たち二人の頭に「前家」と関係している人々の名が思い浮かぶはずもない。
式場の案内板には「○○家」と両家の名が書かれているが、
我が息子にも妻となるお嬢さんにも「自分が家を継ぎ」「家を振興し」、引いては「国の為に」
という、鴎外が担いだ義務と責任の意識のまったくないことは疑いないし、
近所としてのマンションの隣室の住人やオーナーや町内会長を招くはずもない。


 披露宴の席図に書かれた肩書きを眺めながらつくづくと、時代が変わったのだと
考えさせられた。
両家の親族が座るテーブルは各々一つしかなく、会場の殆どは息子たちの会社の上司や
友人たちが占めている。
大画面で上映されるプロフィールビデオというものも全編、スポーツや遊びをする二人の姿や
仲間たちとの呑み会風景に満ちていて、親や祖父母の顔は幼年期の主人公の背景に
申し訳程度に二三枚映されるだけである。もちろん「家」の関係者は露ほどにも映らない。


 言うまでもないことだが、披露宴の会場で交わされる会話の中に「婿」や「嫁」や「家」と
いうような、曾つてこういう席で常套句だった言葉はまったく聞こえては来ない。
「自由で平等で独立した自我の時代」、そんなフレーズが思い出された。


 確かにこの時代が齎してくれる生活は他人に煩わされること少なく、快適だ。
仕事を持って働いている限り、それなりに豊かで便利な生活は保障されているのだ。
近所や地域の助けは要らない。


 これは結婚披露宴に限らず、僕たちの生活のありとあらゆる面での変化である。
僕たちの生活の基盤と言うか、主体が最早「家」や「地域」や「街」や「国家」ではなく、
「個人」に移ってしまったと言えるのだろう。
これまで僕たちの生活を支えて来た地域の伝統や習慣、価値の基準はもうすっかり
断ち切られてしまったのである。
「家」を単位とする地域社会は都会だけでなく、田舎でもまたほとんど消滅してしまったと
言わなければならないのだろう。


 いや、僕はこのような変化を批判しているのではないし、良いというのでも悪いというのでも、
淋しいと言うのでさえもない。息子ばかりでなく僕自身も、家や地域の繋がり、
絆は大切なものだと言いつつ、自分ではそうと気づかぬうちに、息子たちと同じように
地域や家や街や国家を思うことなく行動しているのだし、兄も義妹夫婦も息子の友人たちも、
その親もまた、まったく同様であることに疑いはない。時代精神は青少年の心に入り込み、
そして確実に全世代へと浸透していく。時代は留まることなく確実に変わっていく。
僕たちは常にその時代の申し子である。


 おぼろげな記憶で、確かではないが、ドストエフスキーがどこかでこのように書いていた一節
が思い起こされる。
「誰もが何の思いも残すことなく、いつでもこの地を離れることを厭いはしない」。
僕たちは、『異邦人』になってしまったのかも知れない。
大地から切り離されて漂う浮草のように・・・。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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