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「何ものかになる」ということ(六)

可愛く幼かった息子も、世に職を持ち結婚し、
子どもも得たとなれば、最早父親と同じ考えや価値を共有することなど望むべくもない。


 過日帰省した息子に最近考えていることを話して、議論になった。
僕が息子に主張したのは、「世の承認」についての僕の考えだった。
即ち、その時代に認められたものだけが文化として歴史に残り、
そう認定されなかったものは単なるゴミとして葬り去られる。
僕の描いている絵はこの世の承認を得ることができなかったし
今後もそれを得る見込みがないので、
君は可哀想に僕の描いた膨大なゴミを焼却場に運ばねばならないのだという、
誠に拗ね者のやけくその話だった。


 そんな僕の話に対して息子が言う。

「確かに、その見解が一つの真実を語っていることは分かる。
芸術文化は、時代が作るものだ。
しかし、それがすべてだとしたら、親父の描いているような絵は現れない」

僕は、この息子の言葉を信じられない思いで聞き、
涙を流しそうになった位だが、
そこに話を持って行くのは余りに軽いのではないかと恰好をつけて、主張を続けた。

「僕の描いてきた絵が世に認められず、ゴミとして捨てられるというのは、
僕が決めることではないので受け入れざるを得ないと承知はしているが、
だが残念なことに、それは僕にとって悲しく惨めで辛いということも、確かだ。
毎日毎晩コツコツと骨身を削って描いて来た絵が
ただのゴミとして燃やされるというのは、辛いものだ。何とかならないものか。」

僕が愚痴でしかないことを言うと、
息子は何の感情も籠っていないような冷たさで答えた。

「ゴミにはならないと思うよ」

実はこの言葉にも僕は、胸を打ちふるわせてしまっていたのだが、
父親たるもの、そんなことを悟られてはならない。僕は、重ねて言った。

「誰にも認められなかったとしたなら、
誰も僕の絵を欲しいと思わないとしたなら、
それはゴミになる以外ないではないか。
この街の商店の在り様を見て、僕たちは温いとか、甘いとか、
誠実な努力をしないと批判している。
それなら僕も、自分の絵が世に認められるような策を
講じなくてはならないのではないか」

僕の熱弁は息子の核心を打ち砕く筈だった。
しかし彼はまるで動じないばかりか、

「お父さんは、一体何を目指して毎日毎晩絵を描いているんですか」

と、呆れたように言って、僕を貫くのだった。
僕は答えざるを得なかった。

「人生の本質を描きたいと思っている」

と。すると息子はすかさず

「お父さんはその絵を買ってほしいと思って、描いているんですか。
褒められ、称賛され、有名になりたいと思って描いているんですか」

実に厭な質問だった。
息子が狙っている話の終着点はこれで明らかに思えたが、
ここで話を終わらせる訳にも行かなかった。

「いや、正直に言えば、
『もうこれで、誰にも分からないだろう。お前らに分かられてたまるか』
と思って描いている。
世に欺かれてはならない、世のものになってはならないと思って、描いている」

僕が言うと、息子は顔を崩して笑った。

「だとしたなら、お父さん。世に認められるとかゴミとか、
そんなことを言わなくても、
お父さんの本当の目的は十二分に果たされているではないですか。
世の誰もがお父さんの絵を認めず、欲しいとも思っていないのですから」

息子の導き出したこの結論に、僕はもう何も言うことができなかった。


 その夜、僕は自室に一人座って考えた。
十八歳の春に自分自身に強いたところに再び戻ろうと。

僕が画家という呼び名をこの世から与えられなくても、
描いた絵がゴミになろうとも、いいではないか。
それはそもそもの初めから僕が決め得ることではないのだ。

そう、「善し」である。

僕は僕の描くべき絵をただただ描こう。
自分に忠実に、誠実に切実にキリキリと描こう。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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