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「末さん」

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 僕の記憶に残る末さんは陽に焼けて色の殆ど抜け落ちてしまった
恐らく紺色だったであろう絣の着物とモンペ姿で僕の家の庭の草むしりをしている。

夏の強い陽射が赤黒い地面に照って、
朝早くに降ったにわか雨がむらむらと陽炎のように揺れ上っている。
汗が首にも胸にもへばりつくように蒸し暑い。

末さんは日陰を求めるのでもなく、頭に手ぬぐいを被るのでもなく、
その中で黙々とひとり、草をむしり続けている。

僕は朝の九時頃に末さんがそうしているのを見てから
近所の子供たちと川遊びに出かけて帰って来たのだが、
末さんはまだ地面に這いつくばって草をむしっている。

そんなに広くもない庭にはもうむしるべき草などないように思えたが、
末さんはじりじりと腰をを移して地面に手を這わせ続けている。
 
 まだ小学校の低学年だった僕は末さんが一体誰なのか、
何故ずっと一人で草むしりをし続けているのかを知る由もなかったし、
身を灼くような暑さの中でそうし続けている末さんを
可哀想に思うことも有り難いと思うことも、
或いはまた申し訳ないという思いもなかった。

それはただ僕には無縁の大人の世界のことだった。

僕は、夏の庭に突然現れて草をむしっている老人に

「こんにちは」

と、挨拶をすることもしなかったし、
両親や祖父も僕にそうしなさいとは言わなかった。

僕はただただ末さんの存在を不思議だと思っただけである。
それは丁度名前も知らない見たことのない鳥が
庭に現れたとでもいうような思いだった。

僕は、縁側に立って末さんをしばらく見ていた。

「有難うございます。そんなことしないで、ゆっくりしていて下さったら好いのに・・・」

母が昼食の料理を載せたお盆を台所から運ぶ足を止め、
縁側に立って末さんに声を掛けた。

「お昼ですから、どうぞおしまいになって、上がって下さい」

と呼びかけた。
末さんは、地面に蹲ったまま顔だけを上げて、

「済みません。申し訳ないです。ごめんなさい」

と、頭を下げてから小さく呟くように答えた。
末さんの頭は薄く禿げていて、頬は赤く日焼けし、唇から覗いた歯は薄黒かった。
僕には彼が何を謝っているのか、その意味を考えることはなかった。
 
 母は台所との間を何度か往復して座敷の卓袱台に料理を整え、
店で仕事をしている祖父と父に昼食を告げ、僕にも促した。

「三男ちゃんも、お姉ちゃんとお兄ちゃんを呼んで来て」

母にそう言われたが、僕はそのまま縁側に立って、末さんを見つづけていた。
兄も姉も、呼びに行かずとも、来るに違いなかった。
行けば必ず、「分かってる。うるさい」と、怒られるだけなのだ。

僕が何をしようとも、兄も姉も、僕を見れば必ず怒るのだ。
彼らの要求通りにお菓子を買ってきても、母の為に井戸のポンプを押しても、
彼らは僕を「馬鹿」と怒るのだ。
 
 祖父が前掛けを解きながら縁側に来て、まずは僕の頭を撫でて、

「三男は、いい子だな」

と、日に何度も繰り返されるお定まりの言葉を掛けてくれてから、

「末、もう好いから、上がって、飯だ」

と、庭にまだ這いつくばっている末さんに呼びかけた。

「お盆なんだから、今日ぐらいはゆっくりしないとな。
さあ、もう好いから、早く上がれ。飯だ」

兄の呼び掛けに、末さんは漸く腰を上げて縁側に進んで来た。

それまでずっと末さんは地面に蹲っていたので気づかなかったのだが、
末さんは右の足を引き摺って歩いて来る。
足が不自由なのだ。

末さんはゆっくりと体を右に左に揺らしながら漸く縁側に辿り着いて、
腰に下げた手ぬぐいを引きぬいて、膝や尻を払った。

「すみません、申し訳ないです」

誰にという訳ではなく、末さんが顔を伏したまま腰を折って、また謝った。

「早く、上がれよ。始まらないだろう」

と、祖父がじれったそうに苛立った声で末さんを促した。
しかし末さんは

「うらは、ここで」

と、縁側の隅に腰をおろして、兄の言うことに従わずに、
縁側の下に置いた風呂敷包みに手を伸ばして、そこから弁当箱を取り出した。
アルミ製なのか、鈍く銀色をした使い古した弁当箱だった。

「これを・・・」

と、言ったのだと思う。
僕には顔を伏せて言う末さんの言葉が分からなかったが、
祖父は仁王立ちのように末さんを見据えて、

「折角お前に食べさせたいと思って幸さんが作ってくれたのに。
早く上がって、一緒に食べないか」

と、大きな声を張り上げて、末さんを怒鳴った。
いつも温厚で僕の頭を撫でて褒めてくれる祖父が大声で怒っていることが僕を怯えさせた。
その祖父の脇から父が顔を出して、

「末さん・・・」

と、呼びかけて手招きした。

「こちらにいらして下さいな」

母もまた促した。
 
 しかし末さんは頑なに縁側から動かなかった。

「すんません。うらは、これを持って来たので」

末さんは頭を床に摺りつくまで下げて、弁当箱を僕たちに見せるのだった。

卑屈という言葉を僕はその時にはまだ知らなかったが、
末さんは卑屈さの極みだった。
末さんは兄たる祖父にも父にも母にも決して、従わなかった。

「もう、いい」

祖父が怒りの頂点を極めて、怒鳴った。
末さんを縁側に残して、僕たちの昼食は始った。

母が、料理の幾つかを小皿に盛って盆に載せ、僕に「末さんに」と、促した。
持って行けと言うのである。
僕は盆を末さんの脇に運んだ。

「申し訳ないです。すみません、三ちゃん、ごめんなさいね」

と、末さんは僕に何度も頭を下げた。
僕は、「いいえ」と答える知恵もなく、黙って盆を末さんの前に置いた。

その時に、末さんの開いている弁当箱が見えた。
日の丸弁当と言うのだろう。
白米の真ん中に梅干しが一個埋められているだけのものだった。

本当にこんな弁当があるのだ。
僕は驚いた。

「三ちゃん。すみませんね」

末さんはそう言って僕に頭を下げ、
座敷の祖父や父や母や、兄姉にまで一人づつに頭を下げた。

「馬鹿。謝る必要なんかないだろう? もう好いから、食べろよ」

祖父の声は先程よりは穏やかになっていたが、
まだ腹を立てていることは明らかだった。

「本当に、いつまで拗ねて僻んでいるつもりだ。もう六十歳だぞ・・」

祖父は末さんに向かって言うのでもなく、
そう洩らして、大きなため息をついた。
 
 そして僕たちも食べ始めた。
末さんの為だけではないが、末さんが来るということで、
母は卓袱台にちらしずしや肉料理などを並べていて、
普段にはない豪華な昼食だった。

僕はどこか浮かれて箸を進めた。

だが、縁側の隅に僕たちに背を向けて弁当を食べている末さんの姿が
僕は気になって仕方がなかった。
末さんは腰を丸めて弁当を食べていたが、
僕が運んだお盆の上の料理には箸をつけていないのだった。

そんな末さんを見て母の顔を仰ぐと、

「これを」

と、母は別の小さなお盆に湯飲みを載せて、僕にまた促した。
僕は箸を置いて、末さんのところにそれを持って行った。

末さんはまた頭を下げて、風呂敷包みから今度は水筒を取り出してきて、僕に見せた。
末さんはまたしても、持って来ていると言うのである。
でも僕は、「どうぞ」と、お盆を末さんの前に差し出した。
すると、

「三ちゃん、もういいよ。ありがとうね」

座敷から祖父が僕の名を呼んだ。
そして祖父はまた縁側にまで聞こえるくらいの深いため息をついた。
 
 結局、末さんは幾つかの小皿に盛った料理のうちの
牛蒡のきんぴらを少し摘まんだだけだった。
僕には末さんが頭を下げて謝るばかりなのも
母が用意した料理に手をつけないことも理解できなかった。
 
 ご飯を終えると、僕はまた外に飛び出した。
近くの川に泳ぎに行くのだ。
いつものように姉は

「三男、片づけを手伝いなさい、馬鹿。遊んでばっかりいて」

と、僕の背中に向かって声の限りに怒っていたが、
僕は夕方まで近所の子供たちと夏の川遊びを楽しんだ。
 
 姉にまたしつこく怒られ責められるだろうと怯えながら店の玄関にまで帰り着くと、
そこには末さんと祖父と父母と兄姉が立っていて、
祖父がまた大きな声で末さんを怒っていた。

「もうバスはないし、歩いたら二時間以上かかるだろう。
ご飯も食べていないんだし。馬鹿なことを言うな」

祖父は末さんの肩をゆすって言っていた。
恐らく祖父は玄関に出てくるまでにもう何度も同じことを言ったのだろう。
しかし末さんは頷くことをしなかった。下げた頭を横に振って、

「ごめんなさい。うらは帰ります。あんちゃん、ごめんなさい」

と、祖父に背を向けるのだった。

「末、いいか、人はな、過去に何があったのだとしても、
どんな目に遭っているのだとしても、僻んだり拗ねていてはいけないんだぞ。
あんちゃんはずっとそう言って来ただろう。」

祖父の声は涙を含んでいた。

「今日はご飯を食べて、泊っていけ、なあ、末」

祖父は末さんの肩に掛けた手に力を込めて、引き寄せた。
だが、それでも末さんは、うつむいて、

「あんちゃん、ごめんなさい」

とくぐもった声で言って、祖父から離れようとした。

「お前は、神様を信じていないのか」

祖父のそう言う声には、
また少しの怒りが籠っているようだった。
 
 末さんは、不自由な右足を引きずって、
体を揺らしながら我が家の玄関を離れて、
夕暮れのほのかな闇の中へと歩いて行った。

弁当箱と水筒を包んだ風呂敷包みが腰に下げられていた。

「ごめんなさい」と、末さんの背中が言っているようだった。
 
 夜の食事は夏だというのに、すき焼きだった。
兄も姉も僕も思わぬご馳走に心を弾ませて箸を運んだ。

一家に四十ワットの電球が二つあることだけでも喜ばねばならなかった時代である。
牛肉など、望むべくもなかった時代である。

しかし、母が末さんの為に用意したすき焼きを末さんが食べずに二時間の道を歩いて帰る姿が
僕の胸に浮かんで来たことも確かだった。
僕と同じことを気に掛けていたのか、姉が、

「末さんは、お爺ちゃんの弟なの?」

と、祖父に訊いた。

「ああ、六歳下の弟だ」

祖父はそう答えたが、
祖父の声にはまだ怒りが滲んでいた。

「何で、あんな風なのかな?」

楽天的で何ごとにもこだわらない父が言った。
それは祖父に向かって訊いているのでもなかったが、
祖父は

「三歳の時に囲炉裏端で寝かされていた末の足に釜のお湯がかかってな。
すぐに街の病院に連れて行けばよかったのだが、当時のことだから・・・」

祖父はそこまで言い出したが、
その後は続けなかった。

「三ちゃん、お肉を沢山食べろよ」

と、僕の小皿に牛肉を入れてくれて、
兄と姉の皿にも同じように牛肉を摘まみ入れた。
そして、僕たちに、

「神さまは、絶対いらっしゃるのだからな」

と、言うのだった。
だがそれは僕たちにしてみれば、
何の脈絡もない、訳の分からない言葉だった。
僕たちはすき焼きを思う存分口に入れて、お腹を満たした。
 
 末さんはその後も祖父に呼ばれて何度か我が家に来たが、
その言動はいつも同じで、何一つ変わらなかった。

僕たちの誰にも頭を下げ、地面に這いつくばって草をむしり、
またごめんなさいと縁側の隅に腰掛けて頭を下げるだけだった。

末さんはどんなに祖父が怒っても、頼んでも、諭しても、
我が家族のもてなしを頑なに拒んで、受け容れることがなかった。

祖父は、それから五年後に七十二歳で癌を患って、死んだ。
そして、末さんは祖父の死の一ヶ月後に死んだ。

母屋の脇にある、末さんが寝起きしていた納屋で首を吊ったのだった。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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