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「届かなかった手紙(十)」

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「美しく尊いもの」「愛」、あなたはそれを心の底から命を懸けて願い求めて来たのです。

認められなくても、称賛されなくても求められなくても、
理解してもらえず裏切られても、傷つけられ踏みにじられ罵られ無視されても、
憎まれ怨まれても軽蔑されても侮られても、そして人々から承認されなくても、
それでもあなたは傷ついた心を持ってサービスを続けて来たのです。

いい子であることを自分に強いて来たのです。
 
 ですから本当は、あなたがあなたを否定し憎み呪う理由など何処にもありはしないのです。
 
そして、あなたはご両親や兄弟や友人のみならず、周りの人から
認められ求められ愛されているのです。

ただ、その愛はあなたが望むようではなかったのかもしれません。
あなたが求めるようには、周りの人々はあなたを愛してくれはしなかったのかもしれません。

しかし、あなたは今、生きています。
それはご両親をはじめ、あなたの周りに居る人々の気遣いや
思いやりや愛によるのではありませんか。
 
 あなたがそれでも私は愛されていない、報われない、誰も分かってくれない、
私は不幸に宿命づけられていると被害感と虚しさに閉じ籠り続けるなら、
それは高慢としか言えないのではないでしょうか?

自分を余りに高めているとしか言えないではないでしょうか?
 
 素直に謙虚になって、あなたに向けられている人々の思いに眼を向けてみて下さい。
それはあなたにとって望んだようでなかったのかもしれません。
十分でなかったのかもしれません。

しかし、その人々のあなたに対する信頼、心配、期待、称賛、感謝、失望、苦しみ・・・
あなたが大切だと思う愛、その思いがどれほど美しく尊いものであるかにあなたが気づくなら、
あなたは自分自身を認めることができて、そして自分を意味なき者と呪う虚無の苦しみから
蘇ることができる筈なのです。

感謝と喜びに包まれる筈なのです。

生まれて来て、今生きている自分を喜べるはずなのです。

許されている自分を喜んで、望む自分を頼もしいと歓喜に震える筈なのです。

素直に謙虚になって、あなたに向けられている愛を信じることができるなら、
人は再び虚無の死から逃れて、本当の自分を生きることができる筈なのです。
 
 「生命の意志」が僕たちを促し示しているのは、この道なのではないのでしょうか。

素直に謙虚に自分自身を愛して、そうするようにひとを愛すること。
今の自分自身を乗り越えて、一生を懸けてそれを実現しようと願い求めること。

それだけが僕たちの存在と人生とに本当の意味を齎してくれるのではないでしょうか。
 
 
 しかし、そうするには明日からどのように生きたら良いのだと、あなたは思われるかも知れません。
虚無から生まれ変わって生きるにはどうしたら良いのかと。

確かにそう思われるでしょう。
一体何をどう変えたら良いのかと。
 
 ですが、日々の生活は何も変える必要などないのです。
問題は、あなたが自分自身を素直に認めるかどうかに掛かっているのです。
自分自身の心の奥底に潜んでいるあなたの生命の意志に気づくかどうかに懸っているのです。
 
 V・E・フランクルは言います。
自分の存在の意味をこの社会の中で実現しようとするのでなく、
人生の側からその時その時に要請して来る義務と責任を果たして行くこと、それだけだと。

目の前の仕事を誠実に果たすこと。

目の前に居る人に親切に誠実に向き合うこと、同情心を働かせること、
心に生じた真実を表現すること、愛を示すこと・・・

平凡な毎日の日常生活の中で、その時その時が要請して来ることを
コツコツと果たして行くこと。

傷つき躓き倒れそうになる自分を乗り越えて行くこと。

その誠実な努力が僕たちの存在に意味と感謝と喜びを齎してくれるのだと思います。
幸福は求めて得られるものなのではなくて、
それは誠実な努力が達成された時に人生の側から与えられるものなのだと思います。
 
 
 最後に、もう一度冒頭に戻ります。
 
 人生は淋しく悲しく辛く虚しく苦しい。
誰も本当の私を分かってはくれないし、私の誠実が報われることもない。

切実に必死に誠実に願い求めても、期待しても愛しても、裏切られるばかりです。
悲しいばかりです。

身近な人との関係にあっても、世の人々との関係であっても、
他者との関わりの中であなたが望んだことはすべて壊されて来たことでしょう。

本当にその通りです。

自分の存在と人生に意味を求めて誠実に努力を重ねて来た筈なのに、
あなたは報われることなく、傷ついて孤独地獄の絶望に蹲って
自分自身を呪うしかなかったのでしょう。

あなたが願い求めたことは、あなたが思うようにはならなかった。

そう、神さまでない僕たち人間の望みは、すべて叶わないのです。
 
 しかし、それでも、僕たちは愛を求めて願うことができます。
社会的な関係の中で自分を確立して望みを実現することでなく、
僕たちはより高い人格を身につけるよう自分自身に望むことができます。

実際には躓き崩れ倒れるでしょうが、しかしそれでもまた愛を信じて、
自分自身を素直に謙虚に愛して、ひとを愛することを意志することはできます。

僕たちは全き自由の中でどのような人間になりたいのかを選択し決定することができるのです。

ですから、あなたが切実に求め願い続けて徹底的に苦しめられて来たことは、
あなたが全く新たに生まれ変わるための最上の機会なのです。

嘆き悲しんで、否定し呪い苦しむ必要はどこにもないのです。
虚無の死から蘇って、あなたはまったく新たに誕生したのですから。
 
 でも、これまで二十数年間も凍りついた部屋で自分自身を呪って来られたあなたは、
生まれ変わることを躊躇することでしょう。
光の中に出て行くことを怖く感じられるでしょう。

その時には、思い出して下さい。
 
 惨めさが心を覆う時、淋しさに涙があふれて止まらない時、虚無の嵐が襲って来る時、
苦しくて叶わぬ時、自分自身を呪ってナイフを突き立てようとするとき、
その時こそがあなたに与えられた人生最良の機会なのです。
 
 愛を信じて自分自身の虚無を乗り越えて意味の内に生きるのか、
それとも何ものをも拒んで虚無の内に心を閉ざして私は無意味だと蹲るのか。
 
 どうか、素直に謙虚にご自分を愛して、
そしてそうするように他人を愛そうと願い求めて下さいますように。
 
 お祈りしています。
           (結)

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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