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「人生の無意味感、虚無(一)」

 自殺。或いは自殺することを望むこと。

それは人に秘め隠すべきことなのだと、とりわけ教えられた訳でもないのに、
誰もがそのように思っているようだ。

そうすることは決して為してはならない、何か恥ずかしく許されない罪であり、
他の人に知られることがあってはならない、陽の元に晒されるべきことではないと、
誰もが思っているようだ。
 
 身内の者が自殺して死んだり、或いはまた自殺を図っていることが分かったりすると、
人はその事実が世間に知られないように口を噤んで覆い隠すし、
そのことを知った人々もまた「ここだけの話だけど」と、声を潜めて噂を伝える。
「自殺なんだって」「未遂を繰り返しているんだって」と。
人々の耳に届くのは、「・・・らしい」ばかりである。
それは決して公に知られてはならない秘められるべきことなのである。
 
 この事実は、僕たちは決して自らの命を絶ってはならないのだと
人々が無意識のうちに思っているということを証明していると言えるだろう。

どんなに屈辱的で惨めで苦しいことがあって絶望したとしても、
どのような不幸に見舞われようとも、自らの命を絶ってはならない。

人の命は尊く重く、それは何よりも大切なのだと
僕たちは本能的に思っているのだということを証明しているのではないだろうか。

そうすることは人が決して犯してはならない禁忌なのだと。
 
 
 統計の数字がどれほど正確なのか分からないが、
この僕たちの暮らしている日本での年間の自殺者は三十万人を超えると言う。
これは自殺したと警察か消防かは分からないが、そういう機関が取った公の統計の数字だ。

だから現実にはもっと沢山の人が自ら死を選んで、死んで行っていることだろう。

日本は自殺大国と言われているそうである。

何と傷ましく悲しいことであろう。
心のうちに霙降るような胸の痛んで叶わぬ現実である。
 
 しかし、実際に自ら死んで行った人が三十万人もいるということは、
そうしたいと、或いはそうすべきだと日々考えて悩み苦しんでいる人はその数倍もあるだろうし、
自殺することを試みないでも、生きることに倦み疲れて死んだように日々を送っている人、
涙に暮れて夜を忍んでいる人はどれほど多くいることだろう。

虚しさに取りつかれて自分自身を傷つけ呪っているひとはどれほど居ることだろう。
 
 引きこもり、鬱病、ボーダーライン症候群、リストカット、オーバードーズ・・・
そんな病名をつけられなくとも、生きることは虚しい、私の存在に意味はない、
淋しくて遣り切れない、私は不幸の宿命に繋がれているのだ、
私が生きることは許されない、私の人生なんてどうだっていいじゃんと、
頑なに自らのうちに閉じ籠って喘いでいる人がどれほど多く居ることだろう。

何ものをも信じず、何ものをも願わず、
絶望して生まれて来たことを嘆き呪い苦しむ人はどれほど沢山いることだろう。
 
 夢も希望も憧れも理想さえも、ない。私は誰にも愛されなかった。
誰も認めてはくれなかった。私は輝けなかった。誰も本当の私を分かってはくれない。

そんな思いを抱えて暗く冷たい部屋に蹲って世を呪い、
報われない自分自身を切り刻んで呪っている人がどれほど沢山いることだろう。
 
 私の存在には何の価値も意味もありはしない。

こんな苦しみを背負ってこれから先を生きて行くことと、
生きることの楽しみや喜びとを天秤にかけて計るなら、
この私の人生は生きるに値しないと考えて、
自らの手首を切り薬を大量に呑んでしまう人はどれほど沢山いるだろう。

たとえそんな行動にでなくとも、自分の存在が呪われたものだと
自分を裁き憎み続けて蹲っている人はどんなに沢山いることだろう。

人生は生きるに値しないと。誰も本当の私を分かってはくれないと。
 
 
知人の孫さんが死んだと、人伝えに聞いた。

先週にも聞いた。

半年前にも聞いた。

昨年も聞いた。

一昨年も聞いた。

これまでにどれほど多くの自ら命を絶った人々や
死なねばならぬと思い苦しんでいる人の噂を聞いたことだろう。
 
 
 現代を生きる僕たちの精神を覆い、蝕んでいる「存在の無意味感・虚無」。
これは僕たち人間にとって最も重要な問題であり、最も人間的な問いかけであると言えるだろう。

何故なら人は自分の存在の意味を求めるからだ。
意味によって人は生きるからだ。
自分の存在に意味がなく虚しいなら、人は生きて行くことができないからだ。
 
 だから僕たちは徹底的に考えねばならない。
頭が痺れて働かなくなるまで、思いを込め願いを込めてキリキリと考えねばならない。
自分自身に激しく問わねばならない。

「自分の存在に意味はあるのか?」、

「人生の意味とは何か?」と。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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