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「頑なに閉じ籠ること」

 幼少の頃、親に認められず愛されなかった。

優秀な兄弟姉妹に比べて劣っていた自分は
いつも親の期待を裏切って、認められることがなかった。

お前は橋の下から拾って来た必要のない子なのだと言われて来た。

駄目な子、意味のない子。
  
 或いは、
親の怒りの暴発のままに虐待されて、
愛されるということを知らない子どもだった。

親からの愛情を求めて必死に振舞って来たのだけれど、
私は最も愛されたかった者に認められもせず愛されもせず、
いつも怒鳴られ無視され殴られて来た。

否定されて来た。

気に入って貰おう喜ばせようとしてどんなに愛想を振りまき、
甘えてみたり拗ねたり僻んだりしてみても、
私は認められず愛されなかった。

私の存在には何の価値も意味もないのだ、
私は生きていてはいけない死ぬべきなのだ。
 
 私は誰も信じることができない。
何の夢も希望も憧れも理想も私にはありはしない。
望むことは、すべて虚しい。
もう求めはしない。
美しく尊いことなんか、ありはしない。
生きたいとも思わない。
ただ、死ぬ勇気がないから生きている。
 
 また或いは、
高校受験に失敗した。

「この人こそ分かってくれる」

と信じてすべてを捧げた恋人に裏切られた。
憧れの職に就けなかった。
学校でも職場でも誰一人として私を理解し認めてくれなかった。
私は何者にもなれなかった。
光り輝く大切な存在になれなかった。
愛する存在にしてもらえなかった。
蛆虫にもなれなかった。

どんなに努力をしたってどんなにサーヴィスを尽くしたって、
誰も私を分かってくれない。

私が望むことも願うことも、
そして私の存在もすべては無意味なのだとしか思えない。

私はもう何も信じることができない。

そんな私は世のすべてを拒んで
自分自身のうちに閉じ籠ることしかできないではないか。

頑なに、認められず愛されない自分に閉じ籠る。
喜びも感謝も、そんなものは言葉に過ぎない。

美しいことも尊いことも善なることも何もありはしないのだと、
自分自身を切り刻み苛んで、生まれて来たことを呪う。

私の存在の無意味、すべては虚しいと呪う虚無。

私は生きていてはいけないのだ。

死ぬべきなのだ。
 
 
 このような悲痛な思いを抱えて幼い頃も、青年期も過ごして
成人し大人と呼ばれる歳になってもまだ手首を切ったり薬を大量に呑んだり、
自分で掘った穴を埋め、また掘るような無意味な日々を呪い泣き暮れ、
また自殺を図ったりして、凍えきった自分自身の心のうちに蹲まり続けている人は
少なくないのではないかと、毎晩思って、胸が痛く疼くのを覚える。

自分の存在には何の価値も意味もないと、自分を認めない世を憎み軽蔑しつつ、
同時に認められない自分自身を裁き否定し呪いまでして苦しんでいる人を思って、
胸が疼く。
 
 確かに貴方は堪え難い苦しみに翻弄されて来たのだし、
自分の存在を無意味としか思えなくて、
もう頑なに自分のうちに閉じ籠るしかなかったことは、
それはそれで仕方がないことなのだろうと僕は思って胸を痛くしているのだが、

しかし、貴方がどのような呪わしい過去に苛まれているのだとしても、
癒し難い傷があるのだとしても、
そしてそれが死ぬほどの虚しさと苦しみであなたを襲うのだとしても、
それでも、被害感に捕らわれて僻んで拗ねて自分自身を裁き
否定し呪ったりしてはいけないのだ。
 
 こんなことを必死に訴えてみても、貴方の胸は震えないだろうし、
僕を信頼して心を開くこともしてはくれないだろう。

いや、むしろ、
「お前なんかに分かって堪るか」
と、罵倒したくなるだろう。

僕はそれも分かっているつもりだ。

何ものをも信じないと胸に血を流して閉じ籠る以外になかった
あなたの苦しみを僕は分かっているつもりだ。

「お前が一体何をしてくれるというのだ」

と、罵倒する貴方の思いを分かっているつもりだ。

しかし、でも、これは僕の心の底からの切実な願いなのだ。
 
 しっかりと自分自身を見つめて欲しい。

貴方が本当に求め願っていることは何なのか、素直に凝視してほしい。
 
 自分自身を認めてくれなかった人々も世も憎み呪ってはいけないのだし、何よりも、
認められなかった自分自身を裁いたり否定し呪うことなどあってはならないのだ。

何故なら、そうすることはあなた自身が本当に願い求めていることではないからだし、
しかも貴方は愛されているからだ。
 
 こんなことを言ってもあなたは信じないだろうが、
本当は、ただ、貴方が望んだようには事が運ばなかっただけのことなのだ。

自分が求め願ったようには報われなかったということだけなのだ。
 
 貴方は十分に認められ求められ愛されているのだ。
しかも、自分の人生をどのように生きるかを自分で決定することができるのだ。
虚無のうちに蹲って自分自身と世を憎んで死んだように虚しい日々を送るのか、
それとも感謝と喜びのうちに自分自身を正しく愛して生きるのか、
それを選択することができるのだ。
 
 
 冷静に貴方自身の心の奥底を見てみるなら、貴方は気づく筈なのだ。
何故自分自身を裁いて呪うのか。
何故僻んで拗ねて頑なに心を閉ざして虚無のうちに閉じ籠っているのか、
そして他者を軽蔑し憎むのか、気づく筈なのだ。
それらすべては本当は、貴方は自分自身を何より大切に思っていて、
その自分自身を認められ求められ愛されたいと願い求めている
故にこそ現れた心理状態なのだということに気づく筈なのだ。

それは貴方にとって認めたくはない残酷な真実であるのだとは分かっているつもりだが、
しかしそれは本当のことだと僕には思えている。

僕たちは、

「分かってほしい、死ぬほど抱きしめてほしい」

と、心が軋むほどに願い求めているのだ。
自分の存在が無意味なものでなく、
意味あることをキリキリと、切実に命を懸けて求めているのだ。

僻んで拗ねてすべてを拒み憎み頑なに己のうちに閉じ籠って守ろうとしているが、
しかしそうしていることこそがあなたが愛と意味を求めているのだと気づく筈なのだ。

素直に謙虚に自分自身の心の最も深いところに潜んでいる思いに
忠実になることこそが、正しい選択なのだし、
そうすることでのみ本当の感謝に充ちた至上の喜びに包まれ
打ち震えることができるのだと僕は思っている。

これは、決して難しいことではない。

これは本当の自分自身になることなのだし、
そもそもあなたは誰よりも自分自身を大切にしたいと思っているからだ。

自分自身が大事で、意味あるものになりたいと何より望んでいるからだ。

自尊心は実に実に厄介なもので、自分自身さえも欺いて自己の保全を図る。

プライドを傷つけられまいと足掻く。

自分自身を意味あるものにしたいと苦闘する。

それは人を鬱病にもならせ、虚無にも酔わせ、
果てには自己憐憫にもマゾイストにも導いていく。

そして偏流する自尊心は愛から最も遠いところ、
即ち「虚無」に僕たちを連れて行く。
それは何と悲しいことだろう。

どうか、自分自身の心の最も深いところにある願いに気づいてほしい。
頑なに傷つけられた己に拘らずに、貴方の命を十全に生きて欲しい。

僕は今日もまた胸を軋ませ、祈ることしかできないでいるが。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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