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すべては虚しいとの思いに覆われている君に

生きる意味(一)
すべては虚しいとの思いに覆われている君に

これまでに萩原朔太郎の散文詩『詩人の死ぬや悲し』については何度か書いて来たが、
何度書いてみても胸の内がもやもやと落ち着かない。

自分自身の心が掴めずに悶々とするときは、
そのことについて文章にすると、
(問題が解決するかどうかは別にして)、
自分がそのことについてどう考えているかを
ある程度客観的に知ることができて展望が開けるものだが、
この朔太郎の散文詩についてはどうしてもそのようには行かない。

何故龍之介は自ら死ぬことを選んだのか?

彼を捉えていた絶望とは何だったのか?

それが分からない。
 
 もちろん自ら死んで行った人の死ぬ理由や死なねばならないと
ただひたすらに頑なに心を固めているひとの思いを
一枚の紙を見るような具合に分かることができる筈もないし、
その本人自身にしても、これこれこういう理由で自殺することになったなどと
明快に分かっている訳もなくて、それはもう狂気としか言いようのない世界に
入ってしまっているとしか言えないのだろうが、
しかしそれにしても、分からない。
 
 その詩はこうだ。
 
「ある日の芥川龍之介が、救いのない絶望に沈みながら、
死の暗黒と生の無意義について私に語った」。

朔太郎はその龍之介を慰め励まそうとして、言う。

「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある」

と。

しかしその朔太郎の必死の願いを込めた言葉は逆に龍之介を激昂させる。
龍之介は自分のこれまでの人生をすべてこめたような声で叫ぶ。

「著作? 名声? そんなものが一体何になる!」

詩は、その後に自らの人生に満足して死んで行った人を描き、
そして人間の本質を究め尽くそうとして満足することのなかった龍之介の死を

「悲し」

と締めくくる。

「人の死ぬや善し、詩人の死ぬや悲し」

と。
 
龍之介の自死を目の前に突きつけられて朔太郎の心に突き上がって来たのは、
称賛と共感と、そして無念や怒りなどがマグマのように溶けた思いだったのだろうと思われる。

地位や名声に満足することなくキリキリと限界を超えて求め続けた友が
自ら死んでしまったことに対する混沌とした思いのすべてが
この「悲し」の一語に籠められているように思われる。

朔太郎は最愛の友に対する最大級の敬意を表すと同時に究極の怒りを籠めて、
この詩を書いたのだろう。
 
 僕はこの朔太郎の詩に心打たれて、これまで何度も何度も読み返し、
それについてのエッセイも幾つか書いて来たが、
しかしどう考えてみても分からないのは、
龍之介は一体何が不足で、何が不満で、自らを裁き否定し呪って、
殺してしまったのだろうということである。

朔太郎も書く通り、世の殆どの人は自らの生きて来た人生に

「俺も中々のものだ」

と、満足するか、或いは満足できない原因を他者に負わせて己を肯定するものだが、
龍之介は絶望に沈み、生の無意義を訴えて自らを呪い、死ぬことを選んだ。
 
 極めて当たり前のことだが、「絶望」とは望みを絶たれることである。
自分の望んだことがこの世で実現しないこと、それが虚無と絶望を生み出し、
自分自身の存在・人生が無意味だという思いに至らせる。
 
 と言うことは、僕たち人間は自分自身の存在の意味を捉えることができないなら
生きることができないということになるだろう。

『人は自分自身の存在の意味を求めている』。

これは間違いのない真実だろう。

では、「意味」とは何か?

意味があるとは、「価値がある」ということである。

自分の存在には価値があると認められることである。

無意味というのは、自分の存在が認められていない、
否定されているという意識である。
 
 ここから導き出される答は、
僕たちが心の最も深いところから望んでいることとは、

『自分自身の存在を認められて、生きたい』

ということになる。
 
 何故龍之介ほどに天賦の才能に恵まれ知識と教養に溢れ、
人間の心理の奥底までをも尋ね表した龍之介にこのことが分からなかったのか?

僕たちは生きたいのだ。

いきいきと自分の今を乗り越えて更なる高みへと至りたいのだ。

自分自身が大切なのだ。

大事なのだ。

意味あるものになりたいのだ。

僕たちの根源にあって僕たちを衝き動かしているのは、
自分自身を大切にして、そして伸張させんとする意志なのだ。

間違ってはいけない。

決してここで間違ってはいけない。

それはエゴイズムなどという世俗の軽薄な人間観察の齎す真理ではない。

自分自身を正しく愛して、それを伸張させたいということこそが
僕たちを生かしている生命の意志なのだ。

自分自身を正しく愛することができない人は、愛を知ることができないからだ。
僕たちの命の根源は、自分自身を正しく愛することなのだ。

それを認めることなのだ。
 
 龍之介は求めた。

人間の本質を見極めたいと限界を超えて求めた。

人間精神の極北を生きた。

そして文学界における金字塔を建てて、
後世の僕たちに鋭い洞察によって生み出された作品を提供してくれた。

だがしかし、自分自身を裁き否定し呪って、自らを殺してはならなかったのだ。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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