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「僕たちが 本当に求めていること(四)」

誰も本当の私を分かってくれない。
私を誰も愛してはくれないし、
求めてもくれない。
必要ともしてくれない。
私の居場所はこの世の何処にもありはしない。
 
 私にはもう、
望むことも願うことも求めることもなくなってしまった。

信じるものも頼るものも、
美しいことも尊いことも大切なことも、
何もなくなってしまった。

どんなにそれらを求めたところで、
すべては裏切られ叶わないからだ。

私はそれらをすべて捨てて来た。
望んだりしてはいけないのだと。
 
 私はだから、自分を大切にすることも愛することもできない。
私には何もない。
死ねないから生きているだけ。
こんな私の人生には何の価値も意味もありはしない。
死ねばいいのに。
 
 私はこうして生きて来た。
死ねないから、生きては来た。
こんな凍りついた思いに覆われて、己を憎み呪って、
そして周りの人たちもこの世の人々も軽蔑し憎んで来たし、
今でもそれは変わらない。
  
 
 鬱病と診断されている人は六十万人にも上ると、ニュースは言う。
引きこもりは青少年ばかりでなく五十歳代にも及んで百万人を優に超えると伝える。
そして、自殺者は三十万人。
青少年の死亡原因の第一位は自殺だということだ。
 
「私の人生なんてどうだっていいじゃん」

と、凍りついた自分の心のうちに蹲って、
涙に暮れて日々を送っている人はどれほど多いことか。

すべては虚しいのだと生まれて来た自分を憎み呪っている人がどんなに多いことか。
 
 僕がどんなに切実に訴えてみても、彼らの胸に僕の声は届かないだろう。
たとえ僕の声が聞こえたとしても、彼らの心を震わせることはないのだろう。
   
 だが、それでも僕は思うのだ。
君の信じて疑わない君の絶望は、
果たして君が本当に求めていることなのだろうかと。
 
 君は本当に自分自身を大切に思わず、愛そうとも思っていないのだろうかと。

「無価値で無意味な自分なんか死んでしまえ」

と自分を呪うことを、君は本当に心の底から望んでいるのだろうか。
 
 何も信じない何も求めないと、
頑なに心を閉ざしている鬱屈した思いは、
君が本当に願い求めていることなのだろうか。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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