死んだ方がまし
Sorry, this article is now avairable in Japanese text only. 都会に子供を出すと、二三年は頻繁に帰省するが、
その内に何やかやと理由をつけて中々帰らないようになるという話をよく耳にする。
もう三十年も前のことだが、近所のペットショップの広告チラシに
「こどもは都会に出て行って帰って来ませんが、犬はずっとあなたを離れません」
と書かれているのを読んで、大笑いしたことがあったのを思い出す。
都会の大学に四年間行ったものの、すぐに地元に戻って就職し結婚したばかりの僕には、
子供を都会に出した親の心情がどのようなものか、そんなことは思いつきさえもしなかった。
僕は若く、親もまた若くて生命力に満ち溢れていた。
就学就職の如何にかかわらず、都会に出て行った子供がひとたびそこに居を据えると、
程なくして友人や同僚や恋人ができ、結婚でもすればなおのこと、帰省しようという思いは
確実に薄らいでいく。
田舎を出、不安に覆われていたひ弱な青年も、自分を受け容れてくれる友や恋人を得、
勤め先に椅子を獲得して精神的にも経済的にも安定すれば、もう親は要らなくなる。
都会の暮らしは淋しいと言っていた青年は次第に親の心配を鬱陶しいと感じるようになって、
毎週親に掛けていた電話も手に取らなくなる。
最近子供からの電話がないと心配して親の方から掛ければ、
「心配なんかしなくても大丈夫。用があったら、こちらから掛けるんだから」
と、にべもない返事だ。
親の子供への心配は、実は親自身の淋しさ故でもあるのだが、
年老うことも病も死も知らない息子がそんな親の心情に気づくはずもない。
年老いた親の孤独は骨にまで堪えることを、子供は知らないし、知ろうともしない。
親というものは、たとえ子供が六十歳になったとしても、親であるので、
それは自分を気遣い守り保護するべき存在でしかないのだ。
「仕事が忙しい」、子供の抜く伝家の宝刀の前に親はひれ伏すばかりだ。
一昨年の春、母が入院した。
圧迫骨折という僕には初めて聞く病名だった。
加齢によって骨の強度が衰えて、特に何かをしたというのでもないのに、
背骨に亀裂が入るのだそうである。
母はそれ以外には何の病気も抱えていないので、一か月もすれば退院できて、
元の生活に戻ることができるのだろうと僕と妻は高を括っていたのだが、
骨楚鬆症というやつはそんなに甘いものではなかった。
二か月が経ってギブスを外し、もうすぐ退院と喜んでいる矢先にまた折れ、
三度はあるまいと思い直していると、残念なことにまたまた折れた。
高齢の母には、腰の痛みよりもまた折れるのではないかという不安の方が
堪えているようだった。
家に帰ることができない。
たとえ帰ることができたとしても、以前と同じ生活はできないのではないかと、
そんな不安に脅かされているようだった。
妻と僕は「また元に戻るから」と慰めの言葉をかけつつも、
自分達の言葉の空々しさに後ろめたさを覚えずにはいられなかった。
だが母は、僕と妻が思うほどには打ちのめされ切ってはいなかった。
再三再四繰り返される骨折の診断に、
「若くはないのだから、画期的な回復など望めるはずもないわね」
と半ば投げ遣りなことを言いながらも、
有難いことに、「死んだ方がましだ」とは言い出さなかった。
そう言うのは、母の隣のベッドに横たわっているお婆ちゃんだった。
母の見舞いに行った僕が「こんにちは」と挨拶してご機嫌を伺うと、
彼女は何の前置きもなくいきなり
「九十歳にもなってしまったんですわ」
と言いだして、息子と娘は都会で家庭を持っていることや一人暮らしであること、
今回は台所で転んで大腿骨を折ったことなど身の上話を語って、遂には、
「私なんかはもう生きていては駄目なんや。長生きし過ぎたんや。
父ちゃんが死んだときに一緒に引っ張って行ってもらわんとあかなんだんや。
毎日、仏さんに早く迎えに来て下さいと頼んでいるんやけどの・・・迎えに来てくれんのや」
と、締め括るのだった。
まったく見ず知らずの老女の嘆きである。
ベッドの傍らに立って受け止めるにしては余りに重すぎる話だ。
僕も黙っている訳にはいかなかった。
「息子さんも娘さんも心配していらっしゃるでしょうから、そんな風に思われない方がいいですよ」
僕はそのように話した。
慰めのつもりだった。しかし、それがいけなかった。
お婆ちゃんは、
「息子たちには仕事があるんだから、帰って来いという方が無理なんだろうけど、
息子も娘も、誰も帰って来ない。
退院できたとしても、また一人になるだけだし、死んだ方がどれだけ好いか」
と、重ねて言うのである。
彼女の言う「帰る」が、息子や娘が見舞いや入院の世話の為に帰省して来ることを
意味しているのか、それとも田舎に戻って来て一緒に暮らすことを意味しているのか、
僕は訊くこともできなかったが、いづれにしても、子供たちは帰っては来ないのだ。
「町内中、こんなものや。みんな出て行ってしまって、誰も帰って来ない。
みんな、一人ぽっちでいる・・・。早くお迎えに来てほしいんや。
こんな日が続く位なら、死んだ方がどんだけ益しか・・・」
彼女の話は続く。僕には、それでも希望を持つように説得することも、
老女の心を宥めるような気の利いた話をすることもできなかった。
お婆ちゃんの語る町内の家々の侘しく惨めで悲しい話を、「そうですね」と、
相槌を挟みながら聞くのが精一杯だった。