「なにものかになる」ということ(八)
Sorry, this article is now avairable in Japanese text only.一年ほど前からのことだろうか、息子は帰省するたびに僕の絵を見て、
「明るくなっている」
と、言うようになった。
褒めているのでないことは、彼の頬に笑みが浮かんでいることからも明らかだ。
僕をからかって、面白がっているのだ。
しかし親たる僕としては、そんなことに腹を立てたり、
気分を損ねたりする訳にはいかない。
小さな器でないことを示して、
どのような評も受け容れるという姿勢を崩してはならない。
だから僕は息子の頬に浮かんでいる笑みに気づいていないふりをして、声を低く抑え、
「そうかな?」
と返すことにしている。
自分に向けられた否定的な評に昂じたりしてはならない。
否定的な言葉には、より一層感情を抑えなければならない。
君の評価など何でもないよと、高見に立っていなければならない。
「そんなことはないと思うけど・・・」
僕は冷静さを纏って答える。すると息子は続けて、
「いえ、明るいというか、軽くなっている気がします」
と、丁寧な言葉遣いで厭なことをサラリと言う。
息子は絵に深みがないと言っているのだ。
僕はその言葉に胸を刺されて、心穏やかではなくなっているのだが、
そんなことを息子に気づかれてはならない。僕は更に声を抑えて、
「悪くないだろう」
と、評価を押しつける。だが息子は僕に迎合することがない。
「お父さん、もう一度勤めた方が好いのじゃないですか?
退職してからの絵は、明るいと言うか、軽いと言うか・・・」
息子はとんでもないことを、しかも最後の結論を言うことをせずに、
僕をその場に残して居間に行ってしまう。
僕の絵についての議論は、もう終わりという表明だ。
残された僕は、「明るい?」「軽い?」「深みがない?」と、
座敷に広げた数点の近作を眺めながら、息子の言葉を繰り返し呟いた。
明るくなったと言われれば、確かにそうかも知れないが、
しかし軽く深みがなくなったとは、どうしても思えなかった。
考え方が変わった訳でも、描く主題や描き方を変えたのでもない。
これまで通りに描いているだけなのである。
しかし誠に残念なことに、「これが良いのだ」と、
確信を持つこともまた僕にはできなかった。
図書館を退職して二年が過ぎた。
勤めていた時には毎日八時間の勤務時間だけでなく、
打ち合わせや会議や飲み会と言った雑多なことにも時間を費やさねばならなかった。
自分の時間を奪われるとまでは思わなかったが、
しかし絵を描くことを考えると、十分な余裕があるとも思えなかった。
「もっと激しく描かねばならぬ」
その身を焼く切実な焦りは、僕が勤めている間中、
寸秒も止むことなく僕を脅かして来たことも、偽りない事実である。
勤めを始めた二十数歳の頃から僕は平日も休日も、
毎日深夜まで机とイーゼルに向かって来た。
盆も正月もヴァカンスも憩いも楽しみもなく、
僕は自室に閉じ籠って、絵を描き、文章を書いて来た。
「描きたい」のではなかった。「描かねばならぬ」だった。
「自分のすべてを注いで、更に激しくキリキリと描かねばならぬ」
との、至上命令が僕を責め立てて、許してはくれぬのだった。
だから、勤めに時間を費やすことは、
本義に背くことと言えば、確かにそう思えるものだった。
僕は勤めを始めたその日から、会社を辞めたかった。
いや、正確に言うなら、辞めねばならないと思い続けて来た。
何故なら、芸術家は何ものにも縛られることなく、
自己にのみ忠実に、世俗の価値基準を唾棄し超越し、
人生のすべての時間を注いで創造せねばならぬと考えていたからだ。
その考えからすれば、
生計を立てるために勤めることは恥ずかしく、情けないことだった。
それは最も忌むべき俗物、小市民の在り様に他ならなかった。
僕は勤めを辞めて芸術家として生きる決断のできない自分を恥じ、罵り続けて来た。
ゴッホや太宰やランボーや安吾や檀や放哉や西行や芭蕉や中也や若冲や朔太郎や、
この世に名を残した天才芸術家の生きざまを思い描き、
それに照らして、破天荒でも自由でも天真爛漫でもなく、
狂気も、きらめく才能も備えられていない自分を許すことができなかった。
『地下生活者の手記』の主人公ではないが、
蛆虫にも値しないと断じざるを得なかった。
だから、僕は、才能がないのだから、大いなる決断ができず、
世俗を超越することができないのだから、毎日々々の勤めを忠実に果たしつつ、
毎日々々残された時間を描くことと書くことに注がねばならないと、考えた。
情けなく、惨めで虚しい日々だった。
「小市民」、「俗物」でしかない自分。
「何ものでもない」自分、この屈辱が骨まで僕を蝕み、脅かした。
もちろん、何の才能もない凡庸な自分を世紀の天才たちと比べて、
そのようであることを自分自身に要求すること自体が、
そもそも大いなる過ちなのだが、勤めを辞めて自由にできる時間を得たことと、
歳を重ねた分だけの経験を経て来たことで、
ここ最近、「これ以外では決してあり得なかった現実」
を受け容れることができるようになってきたのかもしれない。
確かに、明るくなったのかも知れない。
だが、息子が言うように、もう一度勤めることは、ご免だ。