Home > Essay >

義母

Sorry, this article is now avairable in Japanese text only.

 今は亡き義母はまだ六十歳という若さでALSという病に冒された。
 
 事の始まりは、右手の指先が動かなくなったことだった。
当人も義父も僕たち家族もALSという病気を知る筈もなく、
「単なる疲れだろう。歳を取ったのだから支障も出るさ」
などと楽観していたのだが、
やがて麻痺は右腕全体に及び、更には左手にまで進行して行った。

義母はそれでも俎板に釘を打ちつけるやら
掃除機に大きな取手を付けるやら様々な工夫を凝らして、
儘ならぬ左手で包丁を使い、洗濯をし、掃除もこなして、
義父や娘たる妻に家事の面倒を掛けるということがなかった。

そして笑って言うのである。

「左手だけでも結構なものだね、何でもできる」。
 
 しかし人づてに聞いた幾つかの病院や整骨院に通い続けても、
麻痺は留まることなく進行して、足から顔までをも冒して行った。

義母は家事をこなすことも字を書くことももちろん、
遂には立つことさえもできなくなって行った。

「大変ですね」

と、友人たちが寝たきりになった義母を見舞って言うと、義母は、

「まだ口が動くから、大丈夫」

と、真顔で答えて、

「有り難いことだと、本当に思うの。
喋りばちの私には口が一番大切なんだから」

と、満面の笑みを頬に浮かべるのだった。
 
 しかし、その口もやがては動かなくなってしまった。
娘たる妻は、あいうえおが書かれた大きなボードを義母の眼前に示して、
辛うじて動く瞼の瞬きによってその意志を読み取っていた。
 
 義母は石のように固くなってしまった体をベッドに据えられて、
妻が指さすボードの文字を一つひとつ瞬きで伝える。

「あ、り、が、と、う、か、ん、し、や、で、す・・・」

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

Mae Hisanori ALLRIGHTS RESERVED.
Powered by eND(LLC)