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ギャラリー主の信条(二)

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帰省して来た息子と互いの近況などを話している時に
息子がいきなり真剣な顔つきをして、
「お父さんはニューヨークで個展がしたいと言っていたよね」と、言い出した。
彼がまだ中学生だった頃に話したことがあったのだろうか?
確かにそんなことを言った覚えはあった。
だがそれは飽くまでも果たすことのできる筈のない夢であって、
何が何でも実現したいと思っていたのでもなく、
そうするために何かをしたことは一度もなかった。
だが、その夜の息子はえらく意気込んでいた。
僕が、「そうだな、できたらいいね」と、生返事をして笑っていると、
「じゃあ、1ヶ月ほど行ってくるわ」
息子が言い始めた。

ニューヨークに行って、ギャラリーを探すと言うのである。
息子は確かに大学に籍を置いたままアート系の会社を起こして、
10年間ほど無事に何とかやって来ているようだったが、
絵画業界に居る訳でも、ニューヨークに人脈を持っている訳でもなく、
一体何の当てや目算や根拠があるのか、僕は大いに訝ったが、
「何とかなると思う」と言って平然としている。

初めての地へのただの観光旅行でなく、
僕の個展を開催してくれるギャラリーを見つけるなどと、
そんなことができる筈がないと僕は案じたが、
それから暫く経った年末に息子は本当にニューヨークに出かけて行ってしまった。

息子からは時折メールでの連絡は来たが、詳しい話は何もなく、
元気でいてくれさえすれば良いとだけ思っているうちに
1ヶ月が過ぎて、息子は帰って来た。
ニューヨークには腐るほど沢山のギャラリーがあって、
息子は毎日50軒も100軒近くもそこを訪ね歩いたらしい。
その中には一週間300万円の費用で開催できると言うギャラリーも
幾つかあったし、もっと安くできると言うところもあったそうだが、
一番良いのはここだと思うと、
息子はパンフレットや書類をカバンから出して広げて見せた。

SOHOにある文化基金団体「ISE cultural foundation 」が
毎年キュレーターによる企画展公募していると言うのだ。
どのような作家の作品をどのように展示するかの企画を競う公募展で、
選抜された5組は2ヶ月間の企画展をそこで開催できるという。
もちろん会場使用料も運営費もかからず、賞金まで出るというのである。
息子はそこに応募するのが一番だと言う。

そこから僕たちは企画展のコンセプトを検討し、
プレゼンのための写真撮影やシュミレーション静止画づくりなどを進めて、
応募に至った。(ほとんど全ては息子の仕事だったが)。

結果、キュレーター前文章の企画はめでたく選抜されて、
ニューヨーク「ISE cultural foundation 」での2カ月間の企画展
『前壽則展 薄明のうちに現れる本来の面目』が開催されることになった。


僕たちは大喜びで出かけて行った。初めてのニューヨーク、SOHOの大きな会場。
初日には会場でのパーティーが開かれて、100人近くの人が集まって下さり、
ほとんど話すことのできない英語で絵の説明などをすることも喜びだった。
翌日も、僕たちは会場に出かけた。
キュレーターと作家が会場に居ることは大事だと思っていた。

すると、オーナーが、
「作家がこんな所でうろついていてはいけない」
と、話し始められた。

「作家は限界を尽くして自分の世界を作り出し、
キュレーターは自分の眼で作家を見出して、その作品をどのように見せるかを考え、
ギャラリー主はそれを来場者に伝えて、販売する。
それぞれがそれぞれの仕事、責任を持っている。
企画展会場は私が自分の責任を果たす場所。
こんなところに来ている時間があったら、
作品を作りなさい。」

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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