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人はただ一人の例外なく(一)

 
人はただ一人の例外なく生まれて、そして死ぬように、
自分自身を愛さない者はいない。
生きたいと願い求めない者はいない。
自らの身をナイフで切りつける赤ん坊はいないし、
母親の乳房を求めない赤ん坊もいはしない。
 
これは決して揺るがすことのできない
僕たちの根源的真実である。
誰もこの真実を否定することはできない。
僕たちは自分自身を大切に思い、
生きたいと願い求めているのだ。
 
「私など生きている価値も意味もない。今夜死ぬのだ」と、
すべてを懸けて決意した人が
空腹を覚えてご飯を食べる。
喉が渇けば水を飲むし、頭が痛いからと、薬を飲む。
「私の人生なんてどうだっていいじゃん」と、
手首を何度も切りつつ、その度に傷は痛く、
血が流れれば包帯を巻く。
睡眠薬を大量に飲んで死のうとしても、
胃は無意識のうちにそれを吐き出す。
首を縊くれば耐え難く苦しくて、手首を切れば痛くてかなわず、
雪の川に足を踏み入れれば、痛みと痺れが全身を貫く。
洗面器に張った水に顔を浸けて死んだ人はいない。
 
僕たちの生きんとする意志、自分を守り大切にせんとする意志は
それが否定されようとする時、
身体的「苦痛」を僕たちに齎すのだ。
いや、身体ばかりではない。
淋しさや悲しさや侘しさや惨めさや虚しさという
心的苦痛も同じである。
それらは僕たちが自分自身を大切にして生きようとする意志に
反する時に齎されるものなのだ。
自らの生命を保つことが危うくなる時、
「苦痛」は、
「そこを逃れて命を守れ」と、警告を発するのである。
 
悲しみ、淋しさ、虚しさ、惨めさ、屈辱、憎しみなど、
日々僕たちを襲い覆ってくる否定的な感情は
僕たちの自己肯定感を奪い去って、
僕たちは自分の存在には何の価値も意味もないのだなどと、
そんな思いに囚われてしまうが、
しかし実は、その否定的感情は僕たちが生きたいと望み、
自分自身を大切にしたいと願い求めている故に生じるものなのだ。
僻んで拗ねて自分のうちに閉じ籠ることも、
自分は駄目だと自分自身を否定して切り刻むことも同様である。
 
間違ってはならない。
僕たちは生きたいのだ。
自分自身を大切にして愛しているのだ。
自己憐憫に欺かれてはならない。
この真実を冷徹にしっかりと凝視つめて、
認識せねばならない。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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