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先生と弟子

「先生」という言葉を思ったり、聞くたびに
漱石の『こころ』を思い出す。
『こころ』は人間の心の最も深いところまでを
まるで顕微鏡で見るかの如くに探り求めた、正に「心」を描いた小説だ。
その中でも僕が最もよく思い出す一節は
「人の前に頭を下げたという記憶が
その人の頭の上に足を乗せようとするのです」
というなんとも悲しくおぞましい先生の台詞だ。

先生と呼ばれる者の果たすべき役割は、
弟子とか生徒の今の現実を否定することである。
先生は当然のことながら弟子や生徒より上に居るので、
君の今の程度はまだ低いと否定し、
更なる上を指し示して、そこに至れと教え促すのが仕事であり、
そして弟子や生徒は、高きを求める故に、
先生の否定をそのままに受け入れて、
先生のようにならむとして努力を積むのが本分である。
弟子や生徒の心の肝心は先生に対する尊敬や憧れや畏れであり、
また、それ故の謙虚さである。
その二つがあるからこそ弟子や生徒の内に努力が生まれる。
弟子や生徒がどこまで自身を伸張させることができるかは
専らその謙虚さと先生に対する尊敬の念にかかっている。
その程度が高く強ければ、伸張の度合も高く強くなるし、
その程度が低く弱ければ、伸張の度合はそれに応じて低く弱くなる。


僕が高校三年生の時に教わった先生はただただ只々恐ろしくて、
先生の前に立つ時、僕は「はい」と言う以外に言葉を持たず、
自分自身の思いや考えを口に出すことができなかった。
僕は先生が話して下さったことをつぶさにノートに記し、
先生が語られた本のリストを作って、図書館に行き、書店に注文して必死に読んで、
抜き書きのカードを作り、また考えたことを原稿用紙に書き綴った。
「お前は馬鹿だ」「お前はこんなことも知らない」
「お前には思想がない」「お前は軽佻浮薄だ」
国語の授業で講義を聞き、週に一度は先生のご自宅を訪ねた。
先生は神であり、僕はその前にあって屑としか思えなかった。
高校3年の春から40歳になる頃まで
僕は頻繁に先生を訪ね、先生もまた偶に拙宅に来て下さった。
そしてその度に、「お前は馬鹿だ」と、
否定されて来た。

それから長い年月が過ぎて、先生は他界され、
僕は七十歳にもなってしまったが、
今もなお先生の言葉を思い出す。
僕が今こうして在るのは先生のお蔭故だと、思い出す。
「先生は神の如くに光り輝き、僕のようなクズは死んでお詫びをせねばならない」とまで
追い詰めて下さった先生の「否定」のお蔭だと思い出す。

ただ、先生の「否定」は僕に文字通りの必死の努力を生じしめたが、
どのように努力を重ねて自分なりに伸張したと思っても、
先生は常に上にあって、僕は常に否定される存在であることに変わりはない。

それが僕に「屈辱」の念を齎したかどうか?
自分を否定し頭を下げさせた先生の頭の上に足を乗せむという思いを生じさしめたかどうか?
漱石の深くて鋭い分析は恐ろしい。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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