人生を嘆く(一)
圧迫骨折で長期の入院を余儀なくされた母を見舞った時のことだった。
母の隣のベッドに横たわっている老婆に
「こんにちは。ご機嫌いかがですか?」
と、挨拶をすると、彼女は信じ難いことにいきなり
「機嫌が良いはずがないわ。私なんか生まれてこない方が良かったんや」
と、言い始めた。
僕はその老婆を知っている訳ではなくて、
ただ母の隣のベッドに居られるのでご挨拶の言葉を掛けただけだったのだが、
思いもかけず彼女は嘆きと言うか、
溜まりに溜まった心の泥を全て吐き出すように語り始めたのだった。
「生まれてこない方が良かったんや。
夫は早く死んで、三人の子供を必死になって育てて来たけど、
三人とも都会に出て行って就職して結婚して子供ができて家を建てて、
それはそれで親としては安心もし喜びもしたけど、でも誰も帰っては来ない」。
老婆はそこまでを一気に言うと、大きなため息をついて肩を落とした。
そこで僕は少しの慰めをと思って、
「子供さんが皆んな結婚されて、たくさんお孫さんもできて良かったじゃないですか」
と、声を掛けた。
だが、それが彼女の神経を逆撫でしてしまったようだった。
老婆は、
「何が良いことがあったりするもんですか」
と、吐き捨てるように言って、一層声を荒げるのだった。
「都会で家庭を持って働いているんだから、こちらに帰って来いとは言わんけど、
私が入院したと言っても、三人とも見舞いに顔を見せることもしやしない。
女手一つで苦労して、苦労して育てて来たのに、、、、
仕事があるとか忙しいとかばっかり言って、後には余計なことで電話を掛けるなとまで」。
老婆は溢れる涙を拭おうともしなかった。
毎日毎夜泣いて泣いて、もうそれが日常のことになっているのだろうか。
「良いことなんか何一つなかった。お金に苦労して、姑と小姑にいじめられて、
その上夫は愛情のかけらもない人で早く死んで、子供たちも夫と同じ薄情な性格や。
誰もいない。人生は苦しくて辛いだけや。
早くお迎えが来て欲しいと、毎日拝むだけや」。
老婆の眼の端は、まるで涙で破れてしまったかのように見えた。
だが当然のことながら、見知らぬ老婆の嘆きを受けても、
僕は何の慰めも何の励ましの言葉も持ち合わせてはいなかった。ただ、
「これまで立派に子供さんを育てて来られて嬉しいこともあったし、
これからもまた喜びもありますよ」
と言うのが精一杯だったのだが、そんな僕の励ましに老婆は、
「アホらしいのう」
独り言のようにポツリと言うと、僕に背を向けてベッドに横たわってしまった。