祈り
もう三十年も前のことだが、隣町の病院に入院したことがある。
病院の規則だったのか、僕の側の都合だったのかは忘れてしまったが、
看護のための付き添いは不要ということで、
妻は家から三十キロもの距離を毎日々々三歳の息子を伴って通って来た。
僕の病気というのは欝的な不眠症とも言うべきもので、
外傷があるわけでも内臓に疾患を抱えている訳でもなく、
入院という大袈裟さが恥ずかしいくらいのものだった。
当の本人でさえそうなのだから、三歳の息子にしてみれば事は一層分からない。
病室に入って来ると息子は決まって、
「お父さん、もう治ったんでしょう」
と、まだよく回らぬ舌で尋ねるのだった。
だが、自分では病気でないと確信しているものの、
傍から患者であることを強いられている僕としては答えようがなかった。
眠れなくてねとも、憂欝なんだとも言えず、
心の内でこれが骨折であってくれたならなどと横着な思いを抱きつつ、
「まだ頭が痛くてね」
と言う他なかった。
すると息子は、
「風邪なんかすぐに治るから、僕と一緒に帰ろう」
と、ベッドの端に腰かけた僕の手を引くのである。
妻は息子の肩に手を置いて、微笑んでいる。
入院して一週間くらい経ってからか、外泊の許可が出た。
小躍りしてはしゃぎ回る息子に手を引かれて、僕は明るい戸外に出た。
青く晴れ渡った春の空が目に痛かった。
刑務所を出所する人もこんな気分なのだろうかなどと、
詰らぬ思いが胸に浮かんだ。
申し訳なさは、依然として消えてくれてはいなかった。
踏み出す足が地面から少し浮いているように感じられた。
現実感が希薄だった。
妻と子と三人して我が家の玄関に入ったときにも、
懐かしさや安堵という類の思いは湧いて来なかった。
旅先の旅館にでも泊まりに来たような感がした。
その夜のことである。
またしても眠れぬ夜だと思いつつ倦怠感に満ちた身体を床に横たえていると、
隣室から何事かブツブツとつぶやく声が聞こえて来た。
不気味に思いつつも、動くのは億劫だった。
注意を隣室に向けるだけにして、僕はそのまま横になり続けていた。
だが、声は止まない。僕は仕方なく重い身体を起こして、布団を出た。
隣の部屋のドアを少し開いて中を覗き込むと、息子が見えた。
息子は布団の上に正座し、上体を折って、両の掌を膝の上に組んでいる。
「今日はお父さんを帰して下さって、有難うございました。
どうか、お父さんの病気を早く治して下さい」
息子の小さな肩が震えていた。組んだ掌に精一杯の力を込めているのだ。
思い起こしてみれば、喋ると言えるかどうか分からぬほど小さな頃から息子は
毎晩々々その床の上で、祖父母や僕たち両親や、
祖父の骨董店の常連さん達の名前までを上げて、
「みんなが元気でいられますように」
と、祈っていたのだった。
僕は、それから程なくして退院ということになった。