自分に向き合うこと 或いは、放擲
二年ぶりに地元で個展を開いた。
前回同様息子の企画で、一階の展示は天井からの照明を消して、
絵がようやく見えるほどの灯りを高床の下から投じた。
初夏の光が輝いている屋外から入って来た人には
殆ど何も見えないほどの明るさである。
壁に低く掛けられた絵は、高床に敷いた畳に座らなければ明瞭に見えない。
「座観」という言葉があるのかどうか、
この個展にそんな名を与えた息子は、
ほの暗い中で静かに座って見るとき、絵が本来の面目を現すのだと言う。
どう考えてみても、畳に座って観賞することを強いる展覧会など聞いたことがない。
息子からのそんな無謀な演出の提案を最初に聞かされたときは驚いたが、
話し合っている内に段々とそれが面白そうだと思えてきた。
息子の会社のスタッフも、「茶室で絵を見るよう」と、賛同した。
前回の、会場を暗くして、来場者が自ら手燭の灯りで
絵を照らして見るという企画より一層会場が緊張するだろうと。
初日のオープニングパーティーには沢山の方々が駆け付けて下さって、
会場は静けさや厳かさの欠片もなかったが、
次の日からは何十人もが一度に来られるということはなく、
暗くて静かな空間は来場者のものだった。
来て下さった方々は入り口で履物を脱いで、
畳に座して静かに絵を見て下さった。
人々は入り口で、また、観終わった後に、
「こんなのは初めてだ」
と小さな驚きを僕に告げて下さった。
もちろん、主催者たる僕を貶すことはできないという前提はあるものの、
この企画は概ね受け容れられたのだなと、
僕は胸を撫で下ろし、喜んだ。
ところが、オープン二日目に何気なく会場を覗きこんだときに、
絵の前に正座した女性が泣いていることに気がついた。
僕は、その背に声をかけることもできず、
開いた扉を静かに閉ざしてロビーに出た。
暫くの時間が過ぎて、会場から女性が出てきた。
拭われた頬に涙は流れていなかったが。
彼女が泣いていたのは明らかだった。
「お忙しい中をわざわざ有難うございました」
と、僕はお定まりの御礼を言って頭を下げた。
女性は僕に晴れやかな微笑みを見せると、
頭を下げて、二階の明るい会場への階段を上って行った。
彼女が一体何を感じ考えていたのか、僕に分かる筈はなかった。
何か辛いことでもあったのだろうかと、そう思うのが関の山だった。
しかし驚くべきことに、次の日もその次の日も次の日も、
毎日四五人の女性が絵を眺めながら、
或いは会場を出たロビーで僕と今見た絵のことを話し始めて、
はらはらと涙を流すのだった。
しかも誰もが一様に、恥ずかしそうにハンカチで頬を拭いつつも、
決して辛そうでも悲しそうでもないのだ。
僕は会期の七日目になっても、
この彼女たちの涙の意味を理解することができなかった。
愚かな僕は、会場にこの謎を解く鍵があるに違いないと考えて、
誰もいない会場の畳の上に初めて座ってみた。
何故、毎日数人の女性が涙を流すのか。
ところが、誠に情けなく恥ずかしいことに、
僕は絵の前に五分間も座っていることができなかった。
自分が何日も何日もかかって描いた、
僕の心情をそのまま表している筈の絵に向き合うことができなかった。
会場に来られた大半の方から
「癒された」、「慰められた」、「落ち着いた」
というような感想を頂いていたが、
当事者たる僕はまったく落ち着くことができなかった。
畳に座るのと同時に、
「もう誰も来てくれないのではないか」
「この絵は駄目なのではないか」
というような思いが次々と突き上がって来て心を掻き毟り始め、
それでももう少しと座り続けていると、
今度は胸の更に深いところから
「誰もが僕を軽蔑して嫌っている」
「本当は詰らぬ絵だと思っている」
「誰にも分かってもらえない」
という、
この四十年間毎日毎晩僕を覆い続けてきた
被害妄想的否定的感情と苛立ちと焦燥が襲ってきて、
僕を激しく揺さぶるのだった。
数分間も座っていることができなかった。
僕は脅されたかのように会場を出なければならなかった。
ロビーに出た僕は、
自分の絵を三分間も眺めていることのできない
自分自身の心理について思いを巡らせた。
十八歳の頃から休むことなく
僕の心を脅かし支配し続けてきた否定的感情と焦燥について考えた。
出てきたのは、
「僕はそれを断ち切ることができない」
という答だった。
つまりは、他者との交渉ごとの中にある自分を
僕はいつ如何なる時も捨てることができないということであり、
美しき女性たちが涙を流したのは、
辛く苦しく緊張を強いられるようなことがあったのかも知れないが、
それでも彼女たちはそれらを断ち切った。
人との交渉ごとを超越して、
自分自身の悲しみや淋しさや苦しさそのものと向き合ったのだ。
僕の拙い絵を前にして、日常の自分自身をそこに放擲したのだろう。
大袈裟な言い方なのだろうが、
彼女たちは日常の自分を投げ捨てることによって、
神が与えて下さったこの世界、この自然の本質を、
或いは自らの人生の本質を直観したのだろう。
日頃から偉そうに、漱石や芭蕉や森有正や西行やベルグソンやゴッホや、
世に既に認められた天才たちの名前を上げて、
「超俗」と、「造化に従い造化にかへれとなり」と、
「中産階級の楽な暮らしをしている人には分からないだろうが、
僕には冬の寒さが麦に堪えるほどに堪えるよ」
などと偉そうに嘯いていた己の何と愚かであることか、
僕は、涙がこぼれそうになった。
「近代的自我の呪詛」
などと、芥川や太宰と同列に立っているかのように語っている己が
恥ずかしくて堪らなくなった。
まさしく、
「僕の人生は、会場で涙した女性の流した涙の欠片にも如かない」。