承認の時代(一)
従来から現代人の心理の傾向はどのようであるかというようなことを分析した
心理学系の書物は沢山出版されていて、
しかもその売れ行きは好調なようである。
記憶を辿ってみると、
「アダルトチルドレン」「シンデレラコンプレックス」「自己愛人間」「自己中」などなど、
様々な角度から観察分析されて得られた言葉が多くの人を引き付けているようである。
それらの書物の分析は成る程、自分自身や周りの人々のことを
誠にうまく言い当てていると思わせる説得力を持ち合わせていて
、「ああ、そうなんだ」という納得を齎す書物であると言えるだろう。
現代とはどういう時代であるか、現代に生きている自分や周りの人は
どのような心理的傾向にあるのかということは、人々の興味を強く惹きつける。
自分自身がどんな人間であるか、自分の生きている時代の心理傾向はどのようであるか、
それは極めて興味深いことで、僕たちの関心を惹きつけてやまない。
政治や経済やスポーツや、日々報道されるニュースのあれこれに人は関心を向けるが、
しかしそれらの事はどれほど重要だとは言え、
突き詰めてみれば、他人事であるとも言えるだろう。
円高、貿易赤字、原発、テロ、経済格差、オリンピック、歴史認識、地球温暖化、
放射能汚染、寒波など、重要なニュースは毎朝毎晩報道されて、
僕たちの生活や意識はそれらの動きによって大きく左右されるものではあるが、
しかしそれらがどんなに重要であり魅力的だと思ってはいても、
僕たちを惹きつけるのは、どんな重要事よりも「自分自身」である。
ドストエフスキーの描く『地下生活者』ではないが、
どのような重大事が起こり、僕たちはそれに熱狂し、絶望し、
また或る時は自分のすべてを捧げると誓いを立てたとしても、
問題は、自分自身のことである。
間違ってもらってはいけないが、
僕が言うのは、それが良いとか悪いとか、そのようなことではない。
僕はただ、人は第一義として自分自身を巡って生きていると言うだけのことである。
人は他者に対して愛、好意、憐憫、同情、差別、怒り、軽蔑、憎悪など様々な思いを持ち、
また自分自身についても、淋しさ、悲しさ、侘しさ、惨めさ、悔しさなど、
ここには書ききれないほどの思いを持ち、考え、迷って生きているものだが、
僕たちが最も強く惹きつけられるのは、自分自身のことであると思うのだ。
再び言うことになるが、これは良いとか悪いとか、エゴイストとか、
美しいことを言っていても所詮人間は自分だけが大切なのだというような、
そんな青臭く浅薄な観点に立って言うのではない。
素直に、真正直に、
「何故僕たちは斯くも自分自身にこだわるのか」
と考えてみなければならないと思うのだ。
僕がこう考えて出した結論は、阿保らしくなるほどに簡単なものだ。
つまり、「生きるもの」としてこの世に生みだされた僕たちは
何より自分自身の生存を保ち、永遠にこれを維持したい
と願い求めているということである。
僕たちはこの根源的欲求を基に様々な思いを積み上げているのである。
「自分自身を維持すること」
これが僕たちの基である。