「運命や宿命や偶然でなく」
「人間は自分の身の丈のものをしか見ることが出来ない」と、
高校時代の恩師は繰り返し話してくださった。
「1mの人間の前に5mの人間が現れたとしても、
1mしかない者には相手が1mにしか見えない。
だからお前は毎日毎晩激しく勉強して、自分の背丈を伸ばさなければならない」
と。
「人間は一生の間に、その前に出ると口も利けないほど怖ろしい人間に三人出会う。
お前がこの先そういう人間に出会ったなら、
その人を超え出るまで、しっかりとしがみついて、離れてはいけない。
あっちに行けと怒鳴られ罵られても、しがみついていなければならない。
離れていいのは、お前がその人を越え出たときだけだ。
だが、そういう人物に出会えるか出会えないかは、お前次第だ。
世の中に偉い人は沢山いるが、
馬鹿は自分が一メートルしかないことを自覚できずに自惚れているから、
自分を超え出た人間とは決して出会えない。
どんなに偉大な人間が目の前に現れたとしても、
馬鹿は肥大化した自尊心で何も見えなくなっているのでその偉大さが分かずに、
頭を下げることができないからだ。
だから、限界を尽くして、勉強しなければならない。
馬に水を飲ませようとして泉に連れて行ったとしても、
馬に飲む気がなかったら、それがどんなにうまい水であっても、
馬に飲ませることはできないように、
謙虚さを知らない馬鹿は自分を超え出た誰とも出会うことができずに、
一生涯変わることがない。」。
そしてまた、三十歳前に僕の前に現れたもう一人の畏ろしい先生は
こけた頬を緩めることなく、僕を見据えて、このように詰問するのだった。
「お前は、君子は豹変するという言葉を知っているか」。
先生に訊かれ、僕は
「はい」
と答えた。
「では、その言葉の前の節に何と書いてあるのかを知っているか」
僕は知らなかった。僕は自分の無知を恥じて俯き、小さな声で
「いいえ」
と言わざるを得なかった。すると先生は、
「お前は何も知らないのだな」
と、厳しい眼で僕を見据えてから、言われた。
「小人は面を改め、君子は豹変するだ。
お前にはこの意味が分かるか。君子は豹変しなければならない。
目の前に真理を示されたら、それまでに蓄えたすべての己を捨てて、
真理に従い、変貌するのだ。
『良いお話だ、影響を受けた、考えさせられた』だのと、
寝ぼけたことを言っていてはいけない。
人間はただ単に生まれてきただけでは人間にはなれない。
人と出会って、生まれ変わらなければ、本当の人間にはなれないのだ。
阿呆は一生自惚れて、生まれたままの姿で満足のうちに死んでいく」。
高校の恩師の言葉通り、
僕はその前に出たら口も利けないほど怖ろしい三人の先生に出会い、
面倒を見ていただいた。
若い僕にとって、三人の先生方は天空から人の形を借りて現れ出た神様に違いなかった。
僕はその前でいつも震え慄いていた。
その僕も歳を重ねて六十歳を過ぎ、
若い僕が叱られていた頃の先生方の歳を越えはしたが、
しかし今でもその先生方は神さまのままで、乗り越えたなどとは、とても言えはしない。
だが三人の先生方は既に亡くなり、僕は弟子の身分を否応なく奪われてしまった。
先日、母と妻と三人でいるときにこの先生方のことが話題に上がって、母が
「偉い先生に出会って、お前は本当に良かったね。感謝しなくてはいけないね」
と言った。
「あの高校で先生にお会いしていなかったとしたら、
あなたは絵も文章も書いていないでしょうし、
図書館司書にもなっていなかったでしょうね。今あるのは、先生方のお蔭だね」
と。確かに、その通りだ。
何の秀でた才能もない劣等生の僕がこうして今日まで生きて来られたのは
三人の先生方に怒られ叱られ貶され、
道を示していただいたお蔭である。
僕はこれまでの自分の過去に思いを巡らせて、
人生の不思議とでも言うべき感慨に暫し耽った。
だが、ふと思うのだ。
僕を「高みに至らねばならぬ」と神さまのような絶対的な命令を僕に課し、
導いて下さった先生方は確かに天から降りて来たような巨人だったし、
そして僕は1mにも満たない愚か者だった。
しかし先生の言によれば、
「人間は自分の身の丈のものしか見ることが出来ない」のではなかったのか?
この自分に向けた疑問に僕が解答と思える考えを見出すことができたのは、
還暦を過ぎた最近のことだ。