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「本質を捉えることの困難さ」

 大阪での初めての個展に京都からお弟子さん二人を伴って染色家の玉村先生が来て下さった。
照明が眩いばかりの会場で、展示した絵を観られてから、こんなことを仰った。

「ピカソの絵を展覧会場で見た人々が、『分からない』と言う。
ピカソの真意など本人に訊いてみなければ分かる筈もないだろうが、
しかし、ピカソにしてみれば、『お前らに分かられてたまるか』と、
思っていただろうことは確かなのではないかと思われる。

絵だけでなく、彫刻も小説も哲学も、世が煽るブランドに促されて、
それを齧ろうとするような者には、分かる筈もない。
絵を買って、毎日毎晩眺めて会話し、何年も格闘し続けなければ、分かる筈がない。
本物の絵はとても買えるものではないが、ポスターでも好い、
それを買って自室に掲げて、話をしなければならないんだ。

俺は妻と結婚し、四十数年間ずっとずっと格闘を続けて来て、
それでこの頃ようやくやっと、一緒になって良かったと思えるようになった。

芸術の奥底に秘められたものが、そんなに簡単に分かられてたまるか。」


 僕は僕に対してでなく、伴ったお弟子さんか画廊のオーナーさんかを
意識して話された言葉が胸に沁みた。
大金持ちは知らないが、これまで僕の絵にお金を出して、
自分のものにしたいと決意を定めて下さった方々にも、
忙しく雪降りしきる中を会場に足を運んで下さった方々にも、
心からの感謝をせねば、申し訳が立たないと思った。


 絵を描く者は、これを描こうと決める時、昂奮の只中に居るものだ。
「描かねばならぬ」という思いに胸を貫かれて、それこそ我を忘れて描くものだが、
今描く絵がどれほど人生の本質を表しているのか、それは知ることができない。
冷徹に自分の思いを疑い、疑って、それでも更に疑って「これを描く」と
鉛筆を執ってはいるが、それが普遍のレベルに達するほどに深いものであるのかどうか、
保証の限りではない。


 これは、描く者ばかりでなく、それを観る人にも、買う人にも共通していることだが、
「一時の昂奮」は恐ろしい。
何年も何十年も観続けられるに足るほどに人生の本質を捉えているのかどうか。


 冷徹に、己を戒めなければならない。熱に浮かされてはならない。
世俗の価値基準や称賛に依ってはならない。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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