「原始の森(一)」
「どんなに科学が進歩し、便利で豊かで快適な生活が実現したとしても、
人は、太古の昔から変わることなく、原始の森を歩いている」
と、先生が話して下さったのは、僕がまだ高校三年生の時のことだった。
それから四十数年を経て、僕はもう還暦を疾くに過ぎ、
それなりの経験を重ねて、もう既に人の人生の在り様は十分に分かっている筈なのに、
それでもまだ、十八歳の頃から問い続けて来た問いに明快な答を見出すことができなくて、
暗澹たる思いに暮れている。
「僕の存在、僕の人生に意味はあるのか」
「何故人は互いに分かり合い、心を一つにすることができないのか」
「人は何故、愛に満たされて生きることができぬのか」
「何故、人は己に満ちて恥じることがないのか」
「何故、人はこのような悲惨で不公正で理不尽な世を作り上げ、
それを善しとしているのか」
「人は何故、軽薄さを逃れることができぬのか」
毎夜突き上がって来るこのような問いに胸を押し潰されそうになっている。
そんな時に決まって思い出されるのは、先生の嗄れた声だ。
『人は原始の森を歩いている。
鬱蒼と繁る樹木に遮られて陽の光も届かない昼なお暗い森を、
地図も磁石も、水も食糧も持たずに歩いている。
何処から来たのか、どこに行くべきなのかも分からず、
自分が何者なのかも、歩いている目的も意味も知らされることなく、
人は彷徨っている。歩みを導く光明はどこにも見えない。
俺はこの森をお前より先に歩きだしていて、今ここでお前に出会った。
だから、お前が水を持っていないのなら、水をやろう。
足を怪我しているのなら、肩を貸してもやろう。
だがそれは暫しのことだ。お前は俺を離れて、
また一人でこの暗い森を歩いて行かねばならない。
神さまを殺してしまった俺たちに導きの光が射すのか否か、
歩むことに意味を見いだせるか否か、それは俺も知らない。
分かっているのはただ、
人は自分一人でこの森を歩いて行かねばならないということ、
それだけだ』