「人生の無意味感と自己実現(二)」
昨年の統計で、鬱病と診断される人々が八十万人に達したと聞いた。
年を追うごとにその数は驚異的に増加しているようである。
その彼らは訴える。
「本当の自分が何処にも居ない」
「この私の人生は生きるに値しない」
「私の存在には意味はない」
と、訴える。
心を閉ざして、寒くて惨めな氷の部屋に引き籠って蹲る。
他人からの呼び掛けも聞こえず、差し伸べる手も見えない暗い部屋に蹲る。
目を閉ざし、耳を塞ぐ。何も感じない虚無の中に蹲る。
自分が何を求めているのか、何を求められているのか、
そのことすら感じることのできない不感症の中に自分を閉じ込める。
美しいものも、尊いものも、感謝も、喜びも楽しみも慰めも拒んで、蹲る。
淋しさと悲しさと惨めさと苦しみに満ちた氷の部屋に閉じこもる。
誰も信じない。自分自身の求めていることすら信じない。
まったき孤独の氷の部屋に膝を抱えて蹲る。
心は硬く冷えて、頑なだ。どんな言葉も彼らは聴こうとはしない。
虚無は、骨の髄まで蝕んでしまう。
彼らがそこに至るまでにどのように感じ、思い、考えるのか、
その訴えがどのようなものなのか、具体的に記してみる。
○ 淋しい。誰も私を分かってはくれない。私はひとりぽっちだ。
○ 職場でも、交友関係でも、家族の内にあっても、私は輝いていない。
認められもしないし、褒められも、称賛されもしない。
○ 他人は私を利用はするけれど、誰も本当の私を必要としてはくれない。
○ 世の人々は愚劣で軽薄で、醜悪だ。何故人はこんなにも自己中心で愚かなのか。
○ あなたたちには私が分からない。私は理解されない。
○ 仕事も、交友も、楽しみも、何も私の心を惹きつけない。
私と私の周りの人々との間にはガラスのようなものでできた厚くて高い壁があって、
人々は別の世界にいるようだ。人々の声はいつも白々しく、私の耳には響かない。
○ 私は愛に満ち溢れた人格を持っていない。
思いやりも、憐憫の情も薄く、人を羨み、嫉妬し、僻み、拗ね、
そして他人を軽蔑し、憎んでさえいる。
○ 私はずっと劣等生だった。
どんなに努力をして、尽くしても、誰も私を認めてはくれなかったし、愛してはくれなかった。
何事にも劣った私は誰にとっても、居ても居なくても、どうでも好い存在だった。
○ この世には美しいことなど、一つもありはしない。尊いことなど何処にもありはしない。
人は邪で己に満ちている。愛など、何処にもない。
○ 私が望んだこと、夢見たこと、理想、信頼、期待、努力、
それらはすべて潰され壊されてしまった。
私は何一つとして私の願いを叶えることができなかった。虚しいだけ。
○ 私は誰にも理解されず、認められず、称賛されることも必要とされることもなかった。
私の存在には何の意味もない。
○ 私の生きることの目標、目的、意味が何なのか。私には何もない。
○ 私はまるで死んでいるようだ。私を惹きつけるものも、夢中にさせることも、
身を焦がす喜びも、ささやかな楽しみも安らぎもない。何も何も、私の心を喜ばせない。
○ 淋しく、悲しく、侘しく惨めでむなしい、苦しいだけの日々。
これが、私が死ぬまで永遠に続く。
○ 何故私は、こんな阿呆たちの為に自分自身を押し殺して、尽くしていなければならないのか。
自分を捧げ続けなければならないのか。私が提供するサービスに意味はない。
誰も誰も、分かってはくれなかった。
他人は必ず、ひとつの例外もなく、私を裏切り、踏みにじる。
○ 私は変わらない。何を言われても、私は変わらない。
悪いのは、世の卑劣で愚鈍な人々ではないか。
○ 私は確かに立派な人物ではない。愛に満ちてはいない。
でも、私は毎日毎日他人に怯え、相手を喜ばそうと、必死に尽くして来たのだ。
サービスの限りを尽くして来たのだ。
○ 誰ともつながっていない。
一人ぽっちで震えながら絶望の淵の底を見つめながら佇んでいる私を、死ぬほどに、
骨も砕けるほどに、抱きしめて欲しい。私の心をきつくきつく抱きしめてほしい。
私が溶けて壊れるまで、私がなくなるほどに、抱きしめて欲しい。
獣のように、私を貫いてほしい。
○ 正直に言おう。私は愛されたい。求められ、認められたいのだ。
しかし、誰も私を愛してはくれない。
○ 私がこのようにねじくれ曲がって自分自身を毎日毎夜裁いて否定している根本の原因は、劣等感だ。
十分な自分でないこと。それ故に認められなかったこと、愛されなかったこと。
だから私は、未だに自分自身を許すことができないのだ。
○ 私は世の人々を軽蔑している。いや、憎んでさえいる。
私はあなた達に尽くして来たではないか。
限界を尽くしてあなた達を尊重して来たではないか。
だのに、あなた達は愚鈍で軽薄なので、私を理解しないのだ。
○ そして私は、被害感に骨の髄まで浸食されて、僻んで、拗ねている。
それは十分に分かっている。
○ しかし、それでも、私には信じられるものが何もないのだ。
虚無が私を蝕んで、生きる意味のないお前は死ぬべきだと私を脅すのだ。
いや、こんなうめき声を聞くなどと、他人の話のように書いたが、本当のことを言えば、
これは僕自身が二十歳の頃から今に至るまで僕が吐き続けて来た言葉なのである。
「自分の存在の無意味」「虚無」、これこそが僕を苦しめて逃れることのできなかった問題である。
しかし、これは僕一人の問題でなく、現代を生きる多くの人々を苦しめる
最も恐ろしい問題なのだということも、確かなことだろうと、僕は確信している。
僕自身を世紀の天才たちと同列に置くようで誠に傲慢の限りではあるが、
神になれなかった多くの天才作家たちは病み、苦しみ、そして自らの命を絶ってきた。
ニーチェの宣告。
「神は死んだ。その座を受け継ぐのは人間である」。
この思想が二十世紀の時代精神に最も大きな影響を与えたのだとは、誰しも知るところである。
「近代的自我の呪い」は、それ以降、僕たちの心を覆って僕たちを捉え続けて、逃してはくれない。
だが、この呪いを逃れ超克する道は必ずある筈なのである。
肥大化した自尊心、過剰な自意識。しかしそこには純一に尊きものを渇望する魂がある筈なのである。
劣等感、自己否定、被害者意識をもたらす自我の欲望の奥底には必ず、
これを超克する意志が潜んでいる筈なのである。
「生命の躍動・意志」即ち、『愛』への希求が潜んでいる筈なのだと、僕は信じている。