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「本当に、すべては虚しいのか」

「今のお前を無縄自縛と言うのだ」と、先生は仰るのだった。

「知ってるか?」

いつものことながら僕はその言葉も知らず、意味も分からなかった。
僕が「いいえ」と、うなだれて答えると、先生は、

「お前は、本当に、何も知らない馬鹿だな」

と、これもまたいつも通りのお叱りを僕に浴びせられてから、その意味を教えて下さった。
先生の語調は僕がその言葉を知らないことがむしろ嬉しいのではないかと思えるくらいに、力強かった。
 
「問題なんか何もないのだ。

お前が何の価値もない人間である訳でも、お前の人生が無意味な訳でもないのだ。
問題なんか何一つとしてありはしない。この世は自分の思い通りに行かないことに満ちている。
願いや企てを果たせたかどうか、その結果は良くなかったのかもしれないが、
しかしお前は毎日を、それなりに求め続けて生きている。
今の自分を乗り越えようと自分に強いて生きている。

何の問題もありはしないのだ。

お前が惨めで苦しいと言うのは、
お前がありもしない縄で自分の首を絞めてがんじがらめにしているだけのことなのだ。
自分は駄目だ、カスだと否定し、呪っているだけのことで、
何処にもお前を縛る縄なんかありはしないというのに。
 
 と言うよりむしろ、お前がそのように自分に自信がなくて、
駄目だ無価値だと自分を責めているということは、良いことではないか? 
自分自身をこれでは駄目だと判断しているのだから。
 
 自分を駄目だと思うなら、良くなればいい。
自分が無価値だ醜いと思うなら、価値あるもの美しいものを目指して努力すればいい。
自分自身を内省して判断する能力があるということは、優れているということの証明ではないのか。
本当の馬鹿は自分を駄目だなどと思うこともできないのだから」
 
先生の慰めに若い僕は、頭を下げた。有り難くて、嬉しくて、涙をこぼした。

明日からまた頑張らねばならない。
先生のように確固たる信念を持って、己を確立せねばならないと、胸を熱くした。
望むことを諦めさえしなければ、それは必ず叶う筈だ、希望はあるのだと。
先生は、自分を認めることのできない僕にとって、光だった。
 
 こんな風に、高校三年の春から四十歳の頃まで殆ど毎週先生の門を叩いて、
お前は馬鹿だ何も知らないと叱られ、或いは慰められ励まされて、
僕は夜を徹して本を読みエッセーや小説を懸命に書き続けたが、
「僕は無価値で無意味なカスに過ぎない」と脅かす悪魔の囁き声が消えることはなかった。

僕はいつもいつも、「もっと激しくもっと切実に学んで自分自身を確立せねばならぬ」と自分に強いて、
何の興味も楽しみも遊びもすべてを捨てて励んだつもりだったが、
しかし自分の生きているこの現実の中で確かな自分を確立することはできはしなかった。
自信を持つことも誇ることもできはしなかった。

僕はいつ眠ったかも分からぬほど懸命に本を読み、文章を書き続けたが、
しかし自分自身の存在を価値あるものとも意味あるものとも思うことが出来なかった。
誰からも認められず、求められず、分かってもらえない劣等な自分。
僕は蛆虫にも値しないという思いから逃れることが出来なかった。
 
 何しろ、先生が僕に与えた人生の目的とは、「世界と普遍に至るレベルの人間になること」なのだった。

世界文学全集、世界美術全集に名を刻むこと、それを果たすことだけが僕の存在を価値あるものとし、
僕の人生に意味を齎してくれる唯一の証明なのだと僕は信じて疑うことが出来なかったのだった。
ドストエフスキーのような作家になること、そのように認められること。
社会に自分自身の座る椅子を持つこと。
それが果たせなければ、すべては無価値で無意味なのだと、僕は信じ切っていたのだ。
 
 しかし、どう考えてみても、そもそもそんな才能に恵まれていない凡庸たる僕に
そのようなことが実現できる筈はないのだった。

どんなに求め、どんなに努力を重ねても、
僕がドストエフスキーになることが出来る筈はないのだ。
太宰にも、芥川にも中也にも朔太郎にも、なれる筈はないのだ。
 
 だが、愚かで若い僕はそのような中学生にでも分かる現実を認識することが出来なかった。

「世界と普遍のレベルに至ること」、

そのことだけが僕を捉えて、そして、そうなることのできない自分自身を裁き否定し呪うだけだった。

何者でもない自分。蛆虫にも値しない自分。
毎日毎夜、その意識が僕を責め苛んで来た。

すべては虚しい。

それが僕を苦しめ続けた。

こんな僕が生きることは許されないのだ、
この世で認められる何者かになれない僕は生きていてはいけないのだ、申し訳ないのだと。
僕は淋しく、悲しく、辛く、虚しく、苦しかった。
誰も誰も、僕を認めてはくれない。分かってくれない。
その屈辱が毎夜僕を襲って来た。

被害者意識と虚無感は僕を捉えて離してはくれなかった。
 
 それは、自分を責めるあまりに十八歳以前の記憶を全部失い、
人前でも気を失ってしまうような精神状態になってもまだ僕を責め続けて来た。

「死んでお詫びをせねばならない」と。
 
 
 如何に迂愚な僕でもそれ以上文筆家になることにしがみつく訳には行かなかった。

三十歳の時、僕はそれを諦めた。
そして、絵を描くことにした。

描くことが好きだった訳でも興味を引かれたのでもなかった。
僕は絵について何一つ知りはしなかった。
デッサンという言葉も、どう描くのかという手法も、ゴッホもピカソも光琳も岡本太郎も知らなかった。
もちろん、描きたいものなど何一つとして思いつくこともできなかった。

ただ僕は、世界と普遍のレベルに至る人間にならねばならなかっただけだった。
僕はそこに至ることを目指して、厭で厭で叶わない油絵を描き始めた。
それは僕の人生の義務と責任だった。
 
 しかし、そう、結果は文筆家を目指して原稿用紙に向かっていた時と同じだった。
毎日々々僕は休まずに絵を描き続けたが、絵描きたる自分をこの世で確立することはできなかった。
描き上げた絵を持って何度先生を訪ねてみても、先生の答はいつも一緒だった。

「これは、絵とは言わない」

「美しさということをお前は何一つ分かってはいない」

「教養も思想もない」。
 
 絵を描いても、僕はそれまでの人生と全く同じように、何の価値も意味もない
蛆虫にも値しない人間だった。
この世には美しいことも尊いことも何もありはしない、信じるべきことなど何もないのだと、
認められない僕は孤独の淵に立って、世を憎み軽蔑し、それと同じように自分自身を憎み軽蔑し呪った。
死ぬべきだと、自分自身を責め続けた。
僕は被害者だった。
悲しかった。
誰にも認められない自分が可哀想だった。

こんなにもこんなにも努力を重ね、人に怯え、敬意を払い、
自分を押し殺してサービスの限りを尽くして来たというのに、「虚しい」と嘆くことしかできない。

何者でもない、誰にも分かって貰えないということが惨めで遣り切れなかった。
自己実現の企てはすべて潰える。

虚しさが僕の骨までをも蝕んで来た。
 
 
 誠に大袈裟だが、僕は二十歳の頃から今に至るまで

「絶望・虚無、それだけが僕の人生の全てだ」

という思いだけを巡って生きて来たと言えるかもしれない。
どんなに逃れようと足掻いても決して解き放してはくれない「被害者意識・絶望・虚無・無意味」。
 
 それは確かに拒むことも逃れることもできない現実である。
しかし、それでもなお僕は思うのだ。
それは本当だろうかと。

僕たち人間の存在は本当にそれだけのものなのだろうか。
本当に、すべては虚しいのだろうかと。
 
 
 そう疑っていると、三十年以上も前に聞いた先生の言葉が胸に浮かびあがって来た。
その時もまたいつものように、僕は自分はカスだ、何の価値も意味もない存在なのだと
自分自身を呪って先生の門を叩いた時のことである。

「お前は神さまに照らして自分自身を見つめたことがあるか?」

神なき実存主義者である筈の先生が「神さま」と仰るのが訝しく思われたが、
先生の目はいつもよりも鋭く僕を見据えて、
僕は自分の内に浮かんだ疑いを考えることなく即座に押し殺した。

「お前は、いつも相対的にものを思い、考える。
自分の目の前の相手、目の前の組織や世間の目に自分がどう映っているのかと考える。
それらに自分は認められているか、理解されているか、必要とされているかと考えている。

或いはまた、こいつは許せないと腹を立てたり、同情したり、頼りにしたり・・・
いつも相手との交渉ごとの中で自分自身の価値や意味を問うている。
それで、自分には価値があるとかないとか、分かってくれないとか認められないとか
許せないとか羨むとか憎み軽蔑するとか・・・
いつも人の世の価値基準に自分を照らして考えたり行動したりしている・・・。
そうだろう?」

先生の眼光は一層鋭く僕の心の奥底を貫いて、僕を脅かした。
僕は、震え上がった。
「はい」と答えることさえもできなかった。

「現代では誰もこんなことを言わなくなってしまったが、だがな、
これこそが現代人の愚かさであり、根源的な過ちなのだ。
世の価値基準に照らして己を見て、相対的にしか考えることが出来なくなってしまっていること、
それが『虚無』を生み出すんだ。
そして、これこそが現代における最も重要な問題なのだ。
お前に、分かるか?」

先生は言葉を結ぶと頬を崩して、僕に訊かれるのだった。
しかし、僕には先生の考えが丸で見えなかった。
僕は何の意味もなく、「はい」とあいまいな相槌を先生に進呈するだけだった。

「俺たちはいつも己に充ちている。自分自身を離れることができない。
この世で自分を実現することだけが自分の存在を意味あるものにして、
幸福になることだと碌に考えもせず阿呆のように思いこんでいる。

そして、自分はなかなかのものだとか、誰も分かってくれないとか、認められないとか、
いつもいつも自分自身に拘って頑なになって、人と対している。

しかしな、相手は常に変化する。

十人いたら、十人が違うことを言う。
人は決してこちらが望むようには動いてはくれない、夢も希望も信頼もすべては壊される。
 
 確かに俺は、高校三年生のお前に、『人は世界と普遍のレベルに立たねばならない』と言った。
『豚になってはならない』とも、言った。

しかしそれは、世の中でその自分を実現せよという意味ではないのだ。
正しく言うなら、『どのような人間になりたいのか、それを激しく問い続けろ』ということなのだ。

この世で何ものかになるということ、認められ称賛されること、
そこには正しさも、美しさも、尊さも愛も真実も初めからある筈がないのだ。
そこにあるのは、相対的な世俗の価値の基準だけなのだから。

そんな世界で何を求めたとしても、すべては虚しいのだ。
何故なら、自分自身しか見えない時、人は被害者になり、惨めで虚しくなる。
淋しく悲しく苦しくなる。

人との相対的な関係の中で己を実現しようと図る時、人は絶望と虚無に至るしかないのだ。
そこでは、すべての夢は破れ、望みも願いも信頼も打ち壊されざるを得ないのだ。

己を神さまに照らして見ること、神さまを介して人と対すること。
そこにしか俺たちの生きる意味はないのだよ。
それこそが感謝と喜びと意味を見出すただ一つの道なのだよ。

このことをよく憶えておけ」。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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