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「人生の受容」

 森有正の『バビロンの流れのほとり』に
「これ以外では決してあり得なかった現実をそのまま受容する」
という一節がある。

これを読んだのは僕が三十歳の頃だったが、
この言葉が三十数年経った今でも挫けそうになる弱い僕を戒める。
 
 誰にも分かって貰えない「本当の自分」など、何処にも居はしないのだ。
傷つけられた自分、認められず愛されなかった自分、可哀想な自分と、
被害者意識と自己憐憫に囚われて、僻んで拗ねていてはいけないのだ。
苦行僧のように、またマゾイストのように、
倒錯の快感で傷つけられた自尊心を保とうとしてはならないのだと、戒められる。

僕たちは、どのような過去があろうと、どんな境遇に置かれていようと、
自分の人生を日々自分自身で選び取っているのだ。
僕たちは、自分が望んだとおりの人間になる。
 
 
 「傲岸不遜を絵に描いたような奴だ」と周りの誰もから言われつつもと言うべきか、
それともそんな風に言われている故にと言うべきかは分からないが、
その企業でただ一人の中学卒だったN氏は上司や同僚から受ける屈辱を忍んで
日々己の限界を尽くすのだと仕事に励み、夜は夜で睡眠時間を削って激しく学んで、
結果、その会社の重役にまで上り詰めた。

同僚たちはその彼を「偉そうに」とは言ったが、「偉い」とは決して言わなかった。
しかし誰も彼に逆らったり、拒んだりすることはできなかった。
彼が全社員の頂点に君臨している現実を誰も否定することはできなかったし、
彼自身もまたそのことを十二分に認識していた。
彼はいつでも断固として己を貫き通した。
 
 その彼が七十歳を前にして癌との宣告を受けた。
数多くいる社員の中で彼を見舞ったのは恐らく僕一人だけだったろう。
お見舞いのメロンを持ってお宅を尋ねた僕をN氏は笑顔で迎えてくれた。
しかし笑みを浮かべたその頬は、見ることが申し訳ないと思えるくらいに痩せこけていた。

「もうあと半年らしい」と彼は大きく口をあけて笑った。
「やるべき仕事や果たしたい仕事は殆どこなして来たという自惚れはあるが...」。

そこまで来ると、唇が動かなくなった。
暫くの間を置いて次に口が開いたときに出てきたのは
それまでに耳にしたことのない言葉だった。

「君には本当に世話になったな」。
 
 
 八十を過ぎたRさんは膝と目の調子が悪くなってから欝の症状を見せるようになって、
「生まれてこない方が良かった」と、痛む膝を抱えて、こぼすのだった。

彼女には息子と娘の二人の子がいるが、共に大学を卒業すると都会に就職して結婚し、
その地に家を建てた。

五年前のことである。彼女はそのお祝いにと、三百万円づつを渡した。

「盆も正月ももちろん、私が入院したと知らせても、
あの子たちは忙しいと言って、帰っては来ない。
あの子たちはいつもいつも忙しい」

彼女は深いため息をつく。

「散々苦労を重ねて、こんな年になるまで生きて来たけれど、
一体何のための辛抱だったのか。いいことなんか一つもなかった。

この年になって分かった唯一のことは、
長生きなんかするものではないということと、
生まれてこないほうが幸せだったということだ」。
 
 
 父親を亡くし、母親の手一つで育てられたS君は小さい頃から左足を引きずっていた。
何故彼の足が不自由になったのかは知らないが、残酷な子供たちは彼の家の貧しさと
少し具合の悪い左足を取り上げて、いつも彼を仲間はずれにし、苛めた。

学年が進んで、クラスが変わっても、進学しても、彼はクラスメートから逃れることはできなかった。

加えて、担任の教諭は成績の芳しくない彼を「乞食と一緒だな」と事あるごとに咎めた。
小さい彼は教諭の言うことの意味が分からなかったが、
高校生になってから、生活保護を受けていることを言っていたのだと気づいた。
 
 三十を過ぎて見合をし、結婚したが、妻は優しいとはとても言えぬ女性だった。
彼は年老いて動けなくなった母親の面倒を十年にわたって看つづけた。
結婚の当初から妻は彼に関心を示さなかったが、年を経るにつれてその傾向は強くなり、
母親の具合が悪くなってからは会話も殆どなくなってしまった。

彼には三人の男の子がいたが、三人とも高校を卒業すると都会に出て行って、
盆にも正月にも帰っては来ない。

「君は偉いな」

と、僕が言うと、彼は怒った。
 
 
 E子さんはもう三十数年もの間毎晩欠かすことなく神さまに祈り続けている。
夫のこと、家を出て都会に暮らす息子のこと、他家に嫁いだ妹家族のこと、
義母のこと、友人のこと、知人のこと。

その人たちが幸いに生きて行くことができますように、
天からの祝福をお与えください。
そしてこの弱い私を許して下さいますように。
あなたに栄光が帰せられますようにと。
 
 彼女の夫は小さい頃から神童と呼ばれる秀才であるばかりか、
背も高く美男子でスポーツにも優れていた。
彼は周りの期待通りに一流大学に進み、一流の企業に勤め、
予め決められていたかのように出世コースを順調に歩んでいた。

周りの人々は口を揃えて、
「この世の幸せを独り占めしている」と妬んだ。
そんな彼と結婚したE子を幸せ者と羨ましがった。
 
 だが、彼女と結婚して五年経った頃、
彼は部下が冒した失敗を庇って自分の過ちだと上司に報告した。
その上司も上層部も彼の報告と謝罪を疑うことなくそのまま受け容れた。
彼の前に敷かれていたレールはたちどころに消えてしまった。
 
 最初の二年くらいは、「これで良いのだ」と、彼は自分の振る舞いをむしろ誇ってさえいたが、
レールを外された毎日々々の屈辱的な処遇に加え、その部下が自分を飛び越えて課長に昇進すると、
彼の自尊心はもうそれ以上堪えることが出来なくなってしまった。 
 
彼は辞表を出し、家に籠って呑めない酒を毎晩飲むようになった。
「程々にして下さいね」と、心配のあまり彼女が言ったりしようものなら、
彼は家を飛び出して二日も帰って来ず、
やっと戻って来た彼の左の手首には包帯が巻かれているような具合だった。

彼は昼も夜も酒瓶を傾け続けた。
「俺はクズだ」、彼は喚くのだった。酩酊して言うのだった。

「あなたは信仰を持って立派に生きていらっしゃるが、俺はカスだ。蛆虫だ。
何の役にも立ちはしない。俺は無価値で、無意味なクズだ。
死ななければならないんだ。お前の神さまに頼んで、俺に死ぬ勇気を与えてくれ」

と、彼女に面と向かってではないが、彼女の耳には届くように言うのだった。

「虚しい、すべては虚しい」。 
 
このような有様に、彼女の親兄弟は頭を寄せて話し合い、彼女に離婚しろと迫ったが、
彼女は決してそれを受け入れなかった。

「離婚しないなら親兄弟の縁を切るとおっしゃるのでしたら、そうして下さい。ごめんなさい」
と、彼女は頭を深く下げて答えるのだった。
 
 その時からもう二十年近くにもなるが、夫は変わらず酒を浴び続けて、
「俺は蛆虫にも値しないカスだ」と、今でも年に何回か自殺未遂を繰り返している。

そして彼女は今日もまた夫の世話を焼き、仕事に出かけて、
一日の終わりに神さまに祈っている。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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