「届けられた手紙(二)」
高校に進んだ私をクラスメートたちは親しい友人として
その仲間に加えてくれた訳ではなかったが、
「近寄るな」「お前は汚い」と言って拒むのでもなかった。
私は皆から持て囃されるのでも称賛されるのでもなく、
また虐められるのでもない存在だった。
居ても居なくてもどうでもいい存在。
高校における私は幼稚園の頃と同じく、
ここでもまた竜宮城の海藻としてそこに居ることを許容されていた。
もちろん彼女たちの誰も私の心の底の思いを知りたいとも
分かりたいとも言ってくれる筈はなかったが、
それでも私を拒んだり無視したり虐めたりすることはなかった。
私はクラスメートたちとの間に遠い距離を保たれ保ちつつ、
彼女たちと同じ教室に居ることが出来た。
そんな無関心の友情を私は軽蔑し憎悪したが、
しかしそれはそれで今になって思えば、有り難いことに違いなかった。
私は彼女たちと同じ空間に居ることを許されていたのだから。
まだ息はできた。
自分で言うことは気が引けるが、私は自分に自信がなくて気が弱く、
びくびく怯えていて不安でかなわなかった故に、真面目だったのだと思う。
はみ出すことが怖くてならなかったのだ。
だから私は面白くも楽しくもなく、また意欲も何もなしに
ただただ懲罰をこなすかのように一日も休まずに学校に行き、
授業を受け、下らないクラスメートやクラブ部員たちと
傷つかない程度の距離を保って毎日を何とか過ごし続けた。
そして家に帰っては、両親や兄の眼の色を窺い心を砕き気を遣い
愛想笑いを浮かべて「いい子」を演じ、サーヴィスをし続けた。
そしてその必死の演技を終えると、私は自室に入ってドアをぴったりと閉めて、
「価値のない自分」
「意味のない自分」
「愛されない自分」
「生きることが許されない自分」
というもう十年もの間覆われて来た己を否定する
虚しく惨めで苦しく窒息するような思いに脅かされて、
「死なねばならない」と涙に暮れていた。
私は来る日も来る日も、おめおめと生きている自分自身を
裁き呪わねばならなかった。
だから、愚劣なクラスメートや部員たちとのどうでもいい交渉は
むしろ私を救ってくれていたと言えるのかも知れない。
それは家で両親や兄と共にする夕食が強いて来る
サーヴィスよりもよほど安易で楽だった。
私には何の喜びも楽しみも、心を温めてくれる親しみも興味も好奇心も、
何ひとつとしてありはしなかった。
私の心は凍りついていて、それが暖かく包まれることも、
または熱く震え動くこともなかった。
私は日々を死んだように、無感覚のうちに過ごしていた。
高校の三年になると、クラスメートたちは「処女を捨てた」とか、
「憧れのあの人が愛してくれた」とか「昨日、やった」とか「最高の快感だった」とか
「なまは駄目よ」とか、そんなことをひそひそと打ち明けることが日常になって来た。
男とのセックス。
我が級友たちの心をそれが捉えて離さないようだった。
でも、私はそんな話に入って行ける訳もなかった。
淋しさに震え凍えていた私は異性からの熱い愛を求めていない訳ではなかったが、
しかし美人でも可愛くも優秀でもない私が認められたり求められたり
愛されたりする筈もなかった。
生まれて来てからずっとそうだったように、私は一人ぼっちだった。
誰も、私の心に寄り添ってくれる異性も同性も居はしなかった。
私は、馬鹿馬鹿しい男とのセックスに夢中になっている彼女たちを軽蔑し心の底から
憎みさえしていたが、同時に妬みや羨望がキリキリと胸に噴き上がって来ることも確かだった。
悲しかった。
悔しかった。
惨めだった。
淋しかった。
級友たちは男を得てセックスを楽しみ、人生を楽しんで浮かれて輝いている。
だのに、私だけが取り残されているのだ。
私だけが切り離されているのだ。
誰も私を、誰も、私を求めてはくれない。
誰一人として分かってはくれない。
「必要のない子」。
お前には何の魅力も価値も意味もないのだ、
死なねばならないのだと、
惨めさが今までにも増して毎夜私を襲って来た。
私を苦しめた。
お前はカスだ。
お前は詰らない女だ。
誰からも求められない女だ。
生きている何の価値も意味もない女だ。
生きていることが許されない蛆虫だ。
何ものでもない捨て去られるべき蛆虫だ。
そのような自分自身を呪う声が聞こえて来るようになった。
私は死なねばならないと。
誰も、もう傍に寄って来てほしくはなかった。
誰にも分かる筈がない。
分かられてたまるか。
最早私は、分かってほしいとも願ってはいなかった。
求めて欲しいとも、認めてほしいとも、愛してほしいとも願ってはいなかった。
ただ、放っておいてくれとだけ、心を振り絞って、思っていた。
淋しく惨めで虚しく、苦しいだけだった。
「何ものでもない私」。
そのことを私はどうしても許せなかった。
我慢がならなかった。
頼りなく虚しく惨めでならなかった。
信じるものも、願うものも、憧れも、もう私には何もなかった。
何の希望もなかった。
生きていたくなかった。
死ぬべきだった。
何もかもがもうどうでも良かった。
私の人生も、もうどうでも良かった。
私はカッターを引き出しから持ち出し、右手に持って、左の手首を切った。
胸のうちに鮮やかに、
『これで死ぬのだ。何の価値も意味もない私がこれで消えてなくなるのだ』。
そんな思いが走った。
『ざまあみろ』
と、私は思った。
しかし何に対してそう毒づいているのかは、分からなかった。
溢れる血が、手首から流れて膝に落ちた。
毒々しい血。
「喜び」と言うようなものではなかったが、そう呼ぶに近い痛烈な感覚が胸に走った。
意識が朦朧として来たその中で、
「駄目だ」
と、私の胸の奥底が騒ぎ立った。
「駄目だ! これは駄目だ」
それは不安とも恐怖とも怯えとも言い難い圧倒する叫び声だった。
私は意識をなくしてしまった。
目が覚めると、私は見知らぬベッドの上だった。
子供の頃から診てもらっている近くの病院のベッドの上だった。
「まさこ」
母が包帯を巻かれた私の左手を握って、私の名を呼び、泣いていた。
母の後ろには父がやはり涙を流して立っていた。
その涙に私は胸が錐を刺されたように痛んで申し訳ないと心の底から思ったし、
最後の最後で死にたくないと叫んだ自分の意識をこれ以上なくはっきりと分かってはいたが、
でも、希望や願いや望みや感謝や後悔がやって来たのではなかった。
生きていて良かったとは思えなかった。
私は矢張りカスのままだし、何ものをも信じることもできず、
両親に対する親密感も湧き上がっては来なかった。
「死ぬ勇気もない」。
私は生きることも死ぬこともできないカスだ。
誰にも誰にも愛されない死すべき自分。
私がカッターで切った傷は浅くて、病院のベッドに横たわっていたのは一晩だけだった。
「お父さんもお母さんも心配しているんだからね」
と先生に言われて、翌朝には母親と一緒に家に帰った。
そして、学校にも通った。
手首の包帯をクラスメートたちにどう思われるかは流石に気になったが、
でも、それももうどうでも良かった。
第一、誰も「どうしたの?」などと、私のことを気に掛けて訊く者など
一人も居はしないのだから。
そして私は愚劣な男と・・・
いや、もう止めよう。
この手紙の先はまだまだあるが、しかし、もう止めよう。
「自分の存在の無意味感」を表すには、これでもう十分だろう。
ここまで読んで来て下さった方々を欺くようで、誠に申し訳なく、弁解の仕様もないのだが、
実は、このような手紙が僕の元に届いたりはしなかったのだ。
これは、僕が書いたものだ。
もっと正確に言うなら、この手紙は僕が僕自身の過去を書いたものだ。
ただ、「僕」と書くべきところを架空の「私」に置き換えただけである。
何故こんな紛らわしいことを僕はしているのか?
その理由を僕は明確に分かってはいない。
しかし、ただ僕は、僕と同じ思いを抱いて悩み苦しみ足掻いている
多くの青少年や若者や中高年が居ると確信していて、僕の心のうちを書くことで、
それらの人たちに自分自身の心のうちを客観的に捉えて欲しい、
分かってほしいと思い続けて来た。
何を分かってほしいのか?
そう、過去にどのようなことがあろうと、誰かに裏切られ傷つき、
分かって貰えなくて、認められも求められも愛されもしなかったのだとしても、
それでも、それでも、僻んで拗ねていてはいけない、
自分自身を正しく愛さなくてはならないと心の底から思うからだ。
自尊心の欲望に欺かれてはならないと思うからだ。
素直に謙虚に自分自身を認めて愛さない限り、
僕たちは真に生きることも死ぬことさえもできないと思うからだ。
僕たち一人一人の存在の意味は、そんな認められるとか何ものかになるとか、
そんな社会的なことのうちにはないからだ。
自分自身を否定したり憎んだり、呪うようなことが決してあってはならないからだ。
僕が今書いた手紙の中に、自らの手首を切った時、
「『駄目だ』
と、私の胸の奥底が騒ぎ立った。
『駄目だ! これは駄目だ』
それは不安とも恐怖とも怯えとも言い難い圧倒する叫び声だった。」
と、書いた。
そう、僕たちは自分で自分を殺そうとどんなに決意を固めたとしても、
僕たちの存在の最も深いところから「生きたい」と望む究極の欲求が噴き上がって来るのだ。
死を拒む強烈な欲求が噴き上がって来るのだ。
僕たちは自尊心がどんなに傷つき、自分の存在が無意味に思われて、
淋しく悲しく虚しく死ぬほど苦しくても、それでも僕たちの存在の最も奥底にある意志は、
「生きたい」と願い求めているのだ。
そしてまたその意志は、認められたい求められたい愛され分かって貰いたいと念じ、
今の自分を乗り越えて更なる高みに至らんと僕たちを衝き動かしているのだ。
この理屈は「届かなかった手紙」に詳しく書いたことである。
分かってくれと、叫びつつ書いたことである。
僕たちは拗ねて僻んでいてはいけないのだ。
頑なに自分に拘ってはならないのだ。
素直に謙虚に、僕たちは自分自身を正しく愛して、そして人を愛さねばならない。
何故なら、「美しく尊いもの、それなしに人は生きることも死ぬこともできない」からだ。
自分自身に拘って頑なに己を呪っている限り、
僕たちは死んだように生きることしかできないからだ。
僕たちは何よりも、生きたいのだ。
そして、僕たちは自分の存在の意味を求める。
自分の人生の意味を求める。
僕たちは意味なしに生きることはできないからだ。
愛なしに生きてはいけないからだ。
自分の存在、自分の人生は無意味だと貴方は言う。
誰も愛してくれなかったと言う。
私は不幸の宿命の元に生まれたのでそこから逃れることができないと自分を呪う。
何一つ私の望みは叶わなかったと惨めで虚しい自分の人生を呪う。
自分を認めない人々を憎み軽蔑して呪う。
何も信じられない、何の希望も願いも欲求も最早ないのだと絶望のうちに閉じ籠る。
頑なに心を閉ざして、自分の不幸を呪う。
だが、貴方は今、生きている。
もし、貴方が産み落とされてから今まで誰の親切、誰の愛も受けなかったのだとしたなら、
貴方は決して今生きてはいないのだ。
貴方を生かして来たもの、それは貴方に向けられた愛ではなかったのか。
素直に謙虚に、自分に向けられた愛に目を向けて、自分自身を正しく愛すること。
僕たちの存在の本質は、ここにあるのではないかと思うのだ。
どうか、分かってほしいと願うのだ。
これは修行でも強靭な自己の確立でも社会的自己実現でも、
悟りでも諦念でも自己放棄でもない、極めてまっとうなことなのだと僕には思えるのだ。
素直に謙虚に自分自身を正しく愛すること、そして自分を愛してくれている者に
目を向けること、そうすることができるなら、僕たちは自分の存在の意味を得て、
虚無の苦しみから蘇ることができると思うのだ。
今生きて在ることを感謝し喜びに包まれるのだと思えるのだ。
どうか、どうか、分かってほしい。
貴方の命は何ものにも掛け替えることのできない大切な大切な命なのだ。
それは素直に自分自身の心に訊いてみさえすれば、
火を見るより明らかに分かることなのだ。