「僕たちが本当に求めていること」
僕には高校三年生の春以前の記憶がない。
幼少年期のことも青春期のことも何も思い出すことができない。
僕は祖父母や父母や兄姉たちと一緒に暮らしていた筈だし、
近所の子供たちと毎日遊んでいた筈だし、
学校でも教室に椅子を与えられて、
体育館や校庭をきゃあきゃあ騒ぎながら過ごしていた筈なのだ。
だのに、すべては厚い霧に覆われていて、
自分自身の姿も誰の顔も風景も、思い出すことができない。
僕が今現在持っている過去の幾つかの記憶は、
成人した後に親などから聞いた話で作られた記憶であって、
何らかの感情を伴った人の顔も情景も何も浮かんで来はしない。
何故僕の記憶は消えてしまったのか?
恐らくそれは、自分の過去を思い出すことが僕が今を生き、
これから先も生きて行くことを難しくするので、
僕の心の奥底にある無意識が記憶を拭い去ってしまったのだろうと思われる。
僕の過去の記憶、即ちそれは僕の存在そのものを否定する記憶なのだろう。
それは丁度、自殺を図って睡眠薬を多量に飲んだ時にそれを吐き出してしまう作用や、
自分自身を激しく責め苛んで否定し呪う時に気を失わせてしまうのと同じ働きなのだろう
と思われる。
僕が生きるために、記憶は消されたのだ。
このように記憶を失うことも嘔吐も気絶も、
それらは僕たちの思いがどのようであろうとも、
僕たちの心の奥底には自分では意識することのできない根源的な意志があって、
それは「生きたい」と望んでいるということを教えてくれているように思われる。
絶望し、私は死ぬべき人間だと自分自身を呪って
自らを殺そうと究極の決断をして多量の薬を呑もうとも、
雪の積もった河原に足を踏み入れて凍死しようとしてみても、
手首をカッターで切ろうとも、
僕たちの自覚する意識より更に奥深くに潜んでいる生命の意志は、
そんな企てを阻もうとしてありとあらゆる手段を講じるということを示している。
つまり、僕たちが自分を殺そうとしてどのような決意を固めたのだとしても、
それは僕たちに「生きよ」と命じている。
「自分を保ち、永遠に生きよ」
と強いているということだ。
僕たちがどんなに否定され、罵られ、報われず、傷つき、苦しみ、
屈辱と虚しさの極北に立たされて絶望しているのだとしても、
僕たちの根源にある生命の意志は僕たちに「生きよ」と命じていて、
体をそのように動かすのだ。お前はクズでカスだと、
どんなに自分自身を切り刻もうとも、
どんなに自分を否定し憎み呪おうとも、
生命の意志は「生きよ」、「自分を保て」と、
僕たちを衝き動かし、
ありとあらゆる手段を講じて僕たちを生かそうとしているのだ。
このことを分かりやすく例証するなら、自分は死ぬべきだと固い決意をして、
洗面器に水を張ってそこに顔をつけて死のうとする人を思い描くだけで十分である。
断固たる決意を持って洗面器の水に顔をつけて窒息死せんとしてみても、
僕たちは決して死ぬことはできない。
必ず顔をあげてしまう。
どのように苦しく悲しく惨めで虚しく辛い過去があろうと、
今置かれた状況がどんな屈辱で身を焼き焦がすのだろうと、
また自分は生きることが許されない
無意味な存在なのだと自分自身を憎み呪おうとも、
そしてそれがどれほど切実な極北の孤独と屈辱と
虚しさと無意味に充ちた絶望なのだとしても、
それでも僕たちの根源にある生命の意志は「生きよ」と、
僕たちを衝き動かしている。
自分自身を大切にして、永遠に生きよと促している。
自分自身を認めよと、強いている。
今の自分を乗り越えて更なる高みに至れと衝き動かして来る。
死にたがって自分自身をナイフで傷つける赤ちゃんを見たことのある人は
ただの一人もいないだろう。
すべての人がただ一つの例外なく死ぬように、
僕たち命あるものはただ一人の例外もなく、
「生きたい」「自分を保ちたい」と求めているのだ。
僕の記憶が拭い去られてしまったのは、
その生命の意志が僕を生き続けさせるために構じた手段なのだ。
幼少年時代なのか中学生時代なのかは知りようもないが、
いずれにせよ自分を否定される記憶が僕が生き続けることを阻むから、
記憶は消されたのだ。
手首を切れば、痛みが襲って来て、その傷を塞げと叫び、
そしてやがてその傷を癒すのだ。
毒や薬を呑めば、吐き出すのだ。
拒まれ否定され虐待されれば、
思いつくこともできないような幾つもの人格さえも産み出すのだ。
いや、そこまで極端なことでなくとも、そもそも、
「淋しい」「悲しい」「虚しい」「痛い」「怖い」というような否定的な感覚感情自体が、
僕たちに早くそこを逃れよという生命の意志からの警告・促しなのだ。
僕たちの根源にある生命の意志は、
「生きよ。自分自身の命を保て」
と、常に僕たちに強いているのだ。
そのように過去の記憶を失わされた僕にもどういう訳だか、
ただひとつの記憶が残されている。
これは僕が成人してから後に母親から聞いた話だが、
僕は常識外れの劣等生で、
宿題もテスト前の勉強もしたことがなく毎日教室の後ろに立たされ、
学校をしょっちゅう休み遅刻した上に毎日毎日悪戯や悪さを繰り返していて、
父母は謝って歩くことが仕事だったらしい。
だから叱られ怒られ否定されることは僕の日常だったのだろう。
その日の夕食時にも僕は厳しく叱責されたものらしい。
夕食のテーブルから逃げ出した僕は
灯りもない真っ暗な屋根裏の物置の蓆の上に蹲って泣いている。
ぶつぶつと自分を正当化する思いと、
自分を不当に叱責する父母や姉たちに対する腹立ちを吐いて
膝を抱えて小さくなっている。
その時、祖父が蝋燭の灯りを手に現れて、その僕の頭を撫でてくれた。
「泣かんでもいい。
お前は大事な大事な子なんだぞ。
爺ちゃんのちょっぽの子や。
明日三角網を買ってやるから、機嫌を直して、ご飯を食べよう、
なっ、お前はいい子なんだから」
祖父は泣きじゃくっている僕を宥めてくれた。
僕はその祖父の顔を思い出すことができないが、
祖父が泣きじゃくっている僕の頭を撫でて、
「大事な子」
と言ってくれたことだけは憶えている。
誰からも認められず求められず輝かなかった僕。
背が低く、勉強もスポーツも音楽も、
何ひとつ秀でたものを持たない劣等生だった僕。
何をしてもしなくても、駄目だった僕。
ついこの間まで僕はそんな劣等の意識に覆われていて、
頑なに自分自身の内に閉じ籠って来た。
長い長い間、自分自身を認めることができなかった。
輝かない自分を許すことができなかった。
何も信じることができなかった。
そんな僕にとって祖父はこの世でただ一人、
僕を認めてくれる人だったのだろう。
僻んで拗ねて自分に閉じ籠って泣き暮れれば、
必ず祖父が僕を助けに来てくれる。
僕を認めてくれると、僕は何の訳も分からずに思っていたのだろう。
それからもう五十年以上が過ぎて、僕は老人になった。
そして、今、やっと僕が何故このことだけを憶えているのか、
その意味を理解することができた。
『僻んで拗ねて、自分の内に頑なに閉じ籠ること』、
それは僕の心の最も奥深くに潜んでいる『生命の意志』の為したことなのだ。
それは、記憶を拭い去ることや嘔吐や気絶や多重人格を作り上げることと同じように、
生命の意志が自分自身を保ち生かすために構じた策なのだろう。
自尊心を保つためのただ一つの策だったのだろう。
しかし、それは前に書いた嘔吐や気絶と同じの一時的な緊急避難策である。
自分の存在を否定されること、或いは否定することから
自分自身の命を守るために為される一時的な策である。
これが長年にわたって続けられるなら、
自己否定の抑圧は自分の内の奥底に潜んでいる生命の意志を押し潰してしまうことになる。
虚無と被害感とが僕たちの精神を覆って心を決定的に凍らせてしまう。
何ものをも信じることのできない虚無の極地に僕たちを閉じ込めてしまう。
僕たちは目覚めなければならないのだ。
素直に謙虚に自分自身の心と向き合って、
本当に心の底から望み願っていることに気づかねばならないのだ。
僕たちは生きたいのだ。僕たちは自分自身を大切にして生きたいのだ。
認められ求められ愛されたいのだ。
これはエゴイズムではない。
僕たちは正しく自分を認め愛さねば、
ひとを愛することも喜ぶことも感謝することもできないのだ。
それは、正しくないこと、
即ち自分自身が本当に求めていることに背いていることなのだ。
自分自身を素直に謙虚に認めること、そこから始めなければならない。
他者から認められ求められ愛され輝くことではなく、
自分自身を正しく認め愛することから始めなければならないと、
思うのだ。
自分自身の人生を本当の意味で生きることを始めなければならない。