原始の森
今からもう五十年も前のことだ。
高校の国語の教師だった恩師がこんな話をして下さった。
「俺たちはみんな原始の森を歩いている。
鬱蒼と繁る樹々に覆われて昼でも
なお暗い泥濘の道なき道を歩いている。
地図も磁石も持たず、
自分が何処から来たのかも
何処に行くべきなのかも分からずに
一人で歩いている。
俺はその森でお前に会った。
だから、
お前が水を持っていなかったなら、
水を遣ろう。
腹が減っているなら、
握り飯も遣るし、
足を怪我しているなら、
肩を貸して一緒に歩きもしよう。
だがそれは、暫しのことだ。
お前はまた俺と別れて
一人でお前の道を歩いて行かなければならない」。
その時から僕は、先生から頂いた水を呑み握り飯を食べて、
よたよたモタモタと躓いたり倒れたり怪我したりしながら、
どうにか今日までを歩いて来た。
未だ確かな地図も磁石も持ち合わせてはいないが、
漸くやっとこの暗い原始の森の遥か前方に
仄かな光が見えて来たような気がしている。
「どのような状況に置かれているのだとしても、
俺たちには賦与された命を感謝して貫くべき億万の理由がある。
お前が俺と別れた後に何も持たない者に出会ったなら、
お前の持っているものを少し分けてやるといい」。