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葦を描かねばならぬと思うのだ

捨てられ、野良になってしまった犬が師走の雨の中を歩いている。

暖を取る家も小屋も毛布も食べるものもなく、
何処かに行く宛てなど何もないけれど、
歩く以外に何の仕様もなくなってしまった犬が歩いている。

冷たい雨を避けようとして家々の玄関に寄ると必ず、
「あっちに行け」と脅される。
汚い、臭い、目障りだと追い立てられる。

夕暮れ近い町に食べ物の臭いがかすかに漂って、
野良犬は近づけば必ず怒鳴られると骨身に沁みて分かっていながら
ついつい引き寄せられて家の軒下にふらふらと歩み寄ってしまう。

しかし、そう、ただ一度の例外もなく罵られ蹴られて、
犬はまた止まない雨の道をよたよたと歩きはじめる。
北も南も分かりはしない。
求められることも必要とされることも撫でられることもありはしない。

空はいよいよ暗くなって、雨が霙に変わった。

下校途上の子供たちが訳もなく石を投げてきて、
あっちに行け、汚いと何の意味もなくはしゃぎ立てる。

野良犬は町の通りを逃れ逃れているうちに河原に出た。
風が激しく吹いて、霙が横殴りに叩きつけてくる。

「もう僕には何処にも行くところがない。何処にも行く所がない」、

野良犬は声にならない声で呟く。
飢えた胃が軋む。
濡れた毛が寒さを一層厳しくする。
目を打つ霙。

橋の下の辛うじて乾いている土の上に身を横たえて、
ふと首を上げると、そこに枯れ果てた葦が見えた。

破れた葉を辛うじて保っている葦が吹きつける風にぼうぼうと震えている。
鉛色した空は重く、暗く、頭を押し付けるかのように低い。
 
 
何故なのだろう、
絵を描く多くの人が意図しているであろう美しさだとか
きらめきだとか新たな自己表現だとか、
そういう事柄は殆ど僕の心に浮かばない。
 
僕は僕の経験したこともないこんな惨めで遣り切れない話を拵え上げて、
この野良犬が見た葦を描こうと思うのだ。
 
現実の僕はストーブのある暖かな部屋に居て、
飢えることも追い払われることもなく、
家族や周りの人々に気遣われつつ日々を過ごしているというのに、
何故か、この野良犬が見た葦を描かねばならぬと思うのだ。
 
追い詰められ、もう何処にも行く場所のなくなってしまった野良犬が
寒さに震えながら見た葦を野良犬が見たように描かねばならぬと思うのだ。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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