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去年の私、今年の私

  若い頃には目の前に「可能性の扉」が大きく開かれているが、
それは一年々々歳を経るごとに閉ざされていく。


  青年の時に抱いた夢や望みは
人が年齢を重ねていくに連れて少しづつ、しかし確実に、壊されていく。
のぼせるほどに熱狂した企てや計画や目論見も、
自ら担いだ使命も責務もまた砕かれ、
あんなに高かった志も、四十年も過ぎれば、
足元の地面の小石に紛れて見出すこともできはしない。


  僕は今年六十一歳になったが、
二十歳前から望み続けてきた「何ものか」になることは、できなかった。
若い僕の目の前に光り輝いていた「可能性の扉」は、
既に堅く閉ざされてしまっていて、再び開かれることはない。
四十年もの間望み願い、学び努力して来たことは
何の報いも栄光も僕に齎さなかった。
僕は何ものにもなることができなかった。


  六十歳を過ぎた今、最早僕には人生に対する
夢も望みも期待も目論見も、何もありはしない。
残されているのはただ、「死」という名の虚無の淵に向かう道を
独りぼっちで歩いていくことだけである。
それまでの十年か十五年の猶予の期間を僕は、
昨日と同じ詰らぬ今日と、今日と同じ詰らぬ明日をただ繰り返していくだけのことだ。
英国の詩人が語った言葉。

 「ティ―スプーンで計れる人生」。

そう、人生はまるで風を追うようなものだ。
すべては虚しい。


  このようなことばかりを長い間考え続けて来たものだから、
新たな年を迎えてどのような思いを持つのかと問われても、
残念ながら期待に沿うような答を返すことができない。

社会に椅子を持たない老人は誰も、「今年こそ」とは思わない。
飛躍するぞとも限界を尽くすぞとも、期することは何もない。

大晦日の夜も元日の朝も、他の日と何も変わらない一日である。
「今年の抱負」などと、そんな安っぽい言葉を吐いて
恥ずかしいとも思わずにいられるのは、
内省を知らないアンポンタンだけだ。

真摯に自分と向き合うことをしない自惚れた軽薄児だけだ。

僕たちは一生を賭けたところで、何事もなし得ることはできないし、
何ものにもなることもできはしないのだ。


  しかし、とは言うものの、
自分自身の心の中を素直に眺め直してみると、
そこに、新たな年へのささやかな期待と言うか、
意欲と言うか、そう呼ぶより仕様のない思いが、
地面から顔を覗かせている双葉のように芽生えていることに気づかされる。

もちろん若い頃のように、「彼は昔の彼ならず」とばかりに、
全く新たな輝き溢れる自分の像を思い描いて胸を焦がしたり、
興奮に頭を熱くするということは流石にないが、

しかし、少しでも自分自身を拡張し精神の高みに至らねばならぬ
と意志している自分が居ることに気づかされるのである。

人生の虚無なぞに自分自身を奪われてはならない
と考えている自分に気づかされるのである。

「尊きもの、それなしに人は生きることも死ぬこともできない」

と、ドストエフスキーは言ったではないか。

若かろうと、歳を取っていようと、人は人であるはずだ。

可能性などという実しやかな欺きにやられてしまってはならない。


「新年」というやつは、中々なものでもある。

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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