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「届かなかった手紙(三)」

もしあなたがほんの少しでも、

「自分は僻んで拗ねているのではないか?
被害者意識に囚われて心を頑なにしているのではないか」

と、思われたなら、どうか生まれて来たばかりの赤ちゃんのような素直さをもって、
僕の言うことに耳を傾けて下さい。

自分自身にさえも固く閉ざしてしまった心の扉を開いて、
素直に正直にあなた自身の心の奥底を見詰めてみて下さい。

あなたが本当は何を求めているのか、そのかすかな声を聞いてみて下さい。

「どうせ誰も分かってはくれないのだ。私には何の価値も意味もないのだ。
これは私の永遠に変わらない不幸な宿命なのだ」

などと、そんな風に頭から決めつけて目や耳を塞いだりしないでください。
心を頑なに閉ざさないでください。頭を悪くしないでください。
 
 僕は精神科の医者でも何でもありませんが、二十歳の頃から今に至るまで四十五年間、
毎日々々あなたと同じような淋しさと悲しさと虚しさに襲われて来て、
何とかこれを乗り越えようと必死に考え続けて来ました。

「僕は蛆虫にも値しない」、
「誰も本当の自分を分かってはくれない」、
「何故、こんなにも苦しめられねばならないのか」、
「僕の人生に意味はない」、
「神さまは何処に居られるのか」、
「馬鹿ばかりだ」

と、世を憎み自分自身を憎み呪って、あなたと同じ苦しみを苦しんで来たのです。
人生は虚しく惨めで苦しいだけだと、その暗黒の思いに覆われて生きて来たのです。
ですから、素直になって、聞いて下さい。
 
 
 あなたはこれまでに何度も、「変わりたい」と思った筈です。「もう、逃れたい」と。
何度も何度も思ったように、先日もまた、思った筈です。

手首を切り、薬を大量に呑んでしまったその時に、「誰か、助けてくれ」と思った筈です。
「生きたい」という思いに貫かれた筈です。
「誰か、この私を死ぬほど抱きしめてくれ」と。
自分は許されない、クズだカスだ、蛆虫にも値しないと自分自身を呪いつつも、
心の奥底でそう願い求めて来た筈です。
もう、逃れたい、こんなに苦しむ自分を捨てて生まれ変わりたいと、思った筈です。

そうでしょう?

あなたは認めたくはないのでしょうが、あなたはこれまでに何度も何度も
そう願い求めて来たでしょう?

生きたい。本当の私を分かってほしい、そして死ぬほど愛されたい、
愛したいと思って来られたでしょう? 
 
 その自分を認めて下さい。それがあなたがあなたとして生きるための第一歩なのです。
それができたなら、もう何の問題もないくらいに大切な一歩なのです。

あなたはあなた自身がとてもとても大切なのです。
あなたは自分を認められたい、求められたい愛されたいと望んでいるのですし、
人を愛したいと願い求めているのです。

それは醜いことでも悪いことでもなく、誠実でまっとうな魂の希求なのです。
表層の意識に欺かれないで、しっかりと自分自身を見つめて、そして最も奥深いところに
押し込めてしまったご自分の本当に願い求めていることを見出して下さい。認めて下さい。
 
 
 そう、あなたがもう既に十分ご存じの通り、
「望んだ者だけが」変わることができるのです。

転んでも躓いても、傷つけられ苦められても、
それでも望んだ者だけが変わることができるのです。

望みさえすれば僕たちは「精神の死」「虚無に充ちた孤独地獄」から逃れて、
喜びと感謝に充ちた光溢れる地平に蘇ることができるのです。
 
 あなたは純粋に健気にまっすぐに望んで来られました。
あなたはご自分の存在のすべてを懸けて求めて来られたのです。
「愛」と、そして「自分の存在の意味」を求め願って来られたのです。

ですから、今一度自分に素直になって、頑なに閉じ籠る自分を捨てて、
僕の声に耳を傾けてみて下さい。
自分は不幸な定めにある死すべき人間だなどと言わずに、心を開いてみて下さい。
あなたは本当は、そうしたいでしょう?
 
 
 僕が何十通もの手紙をあなたに書いたのは、あなたが本当は光のうちに生きたい、
愛を信じ意味ある人生を生きたいと願い求めているからなのです。
 
 そして実は、あなたが苦しめられ続けて来た虚しさも悲しみも孤独の絶望も、
本当は、僕たちが生きる喜びへと生まれ変わるためにどうしても必要だった経験なのだと
僕は考えているからです。

光のうちに喜びと感謝と意味に満ちた地平に至るために、
どうしても通らねばならなかった経験なのだと僕は思うからです。
 
 孤独の淵に立たされて来た苦しみは、僕たちが虚しさに囚われた精神の死から
蘇るために与えられた最上の機会なのです。

どうか、一度、信じて下さい。

僕はあなたの信頼に値する者ではないでしょう。
悲しいかな、残念ながら、誠に誠に申し訳ないことに、
僕はあなたを救うことが決してできません。
でも、僕が今から言うことに耳を傾けてみて下さい。

「苦悩だけが人格を形づくる」。

これは、ナチスの強制収容所を生き抜いた心理学者V・E・フランクルの言葉です。

「美しく尊いもの、それなしに人は生きることも死ぬこともできないのだ」。

これは、人間が追い詰められ得る極限の絶望を生き抜いたドストエフスキーの言葉です。

あなたが今日まで苦しみ続けて来たことには
人間としての最も重要な意味があると思うのです。
 
 
 当たり前のことですが、あなたが「変わりたい。闇を逃れて光のうちに立ちたい」という
自分自身の望みに素直になれないのだとしたら、
あなたは今のまま、この先もずっと他者も自分自身も憎み呪って、
淋しく惨めで虚しい日々を死の訪れるその日まで続けることになるでしょう。

それはあなたの選択です。

そのことが良いとか悪いとか言うのではありません。
虚無に満ちた暗黒のうちに蹲り続けていたいとあなたが望むなら、
今までそうして来たように頑なに心を閉ざし続けているしかないでしょう。
 
 でも、僕がお訊きしているのは、

「あなたは本当に、世も自分自身をも憎み呪って、何ものをも信じずに、
虚無のうちに閉じ籠って生きることを望んでいらっしゃるのですか?
そうありたいと、心の底から願い求めていらっしゃるのですか?」

ということです。

どうか素直に正直にご自分の心の奥底を見つめてみて下さい。
                          (つづく)

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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