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澱のように心に


死ぬほど抱きしめてほしい
息もできぬほど、壊れてしまうほどに
抱きしめてほしい。
心ゆくまで涙に暮れよと
何も身に纏わぬ私を
貫いてほしい。
私はそう願い求めてきた。
この胸が破れ
血が滴るほどに
私は願い求めてきた。

だが、誰も、誰も、
気づいてはくれなかった。
誰一人として
私の心の軋む声に
耳を貸してはくれなかった。
誰も、聴いてはくれなかった。
誰も、抱きしめてはくれなかった。

私はカス。
私は誰の注意も引かない。
誰も、愛してはくれない。
冬の哀れ蚊ほどにも
私のことを気に掛けてくれる人はいなかったし、
これからも
現れてはくれないのだ。
私は
何の価値もない、無意味な存在だ。

「生まれて済みません」と、
彼は梅雨の雨止まぬ用水に身を投げた。
雪降り頻る夜の
凍てつく屋根に身を横たえて
彼女は死んでいった。
医者に貰った睡眠薬を蓄え飲んで
彼は死んでしまった
そして彼女はまた
粗末な荒縄で首をくくって逝ってしまった。

誰にも認められず愛されなかったと、
彼女は幾層にもできた手首の傷を
今夜もまた切りつけている。
彼は、誰も誰も本当の私を分かってくれないのだと、
頑なに心を閉ざして
何ものをも信じられないと
ただただ泣き暮れている。
神様は、どこに居られるのか。

僕の同胞たち。
何と悲しく
痛ましいことだろう。

正直に、まったき素直さをもって
心を開くなら、

気遣いも己も知らない赤子のように
心を開くなら、
真夏の晴れ渡った青空のように
清純なる己の魂をそこに確かに
見出すことができるだろうに!
今あることの喜びをもって
己を抱きしめて涙するだろうに。
嗚呼、信じることさえできたなら!

だのに
そうすることができなくて、

いや、本当のことを言おう。
私は、そうしないでいるのだ。
そうすることを拒んでいるのだ。
本当の私はどこにもいない。
僻んで拗ねて、
私の哀しみ
私の寂しさ、私の虚しさ、私の絶望を抱きしめて
蹲っている。
私の心に澱のように積もった悲しみ

  

「人生とは何か、人間如何に生きるべきか」を問い続けること、そして思い考え感じた、それら名状し難い混沌をキャンバス上に表すことが僕の生涯をかけた仕事である。表現方法としては、西洋の材料である油絵具に金箔、銀箔、和紙、膠など日本の伝統的素材を加えて、これまでにない新しい世界観を表そうと考えている。わび、さび、幽玄など日本文化の最深奥に流れている概念があるが、そういう概念を介さずに直接心を打ち貫く切実さを描きたい。ものの持つ本来の面目を。

前 壽則 Mae Hisanori

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